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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

復活節第二金曜日(4/21)

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少しも無駄にならないように

ヨハネ6:12
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録5.34-42)

  34〔その日、〕民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエルという人が、議場に立って、使徒たちをしばらく外に出すように命じ、 35それから、議員たちにこう言った。「イスラエルの人たち、あの者たちの取り扱いは慎重にしなさい。 36以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。 37その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。 38そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、 39神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」一同はこの意見に従い、 40使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。 41それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、 42毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。

🌸 答唱詩編 詩編27 典73 ①⑥

アレルヤ唱 典272 ㉜

🌸 福音朗読 (ヨハネ6.1-15)

ヨハネによる福音
 1〔そのとき、〕イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。 2大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。 3イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。 4ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。 5イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、 6こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。 7フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。 8弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。 9「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」 10イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。 11さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。 12人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。 13集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。 14そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。 15イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 なじみ深いパンを増やして大群衆に食べさせた感動的な物語。ヨハネに限らず、福音書はすべて、この出来事を福音書の中心に置き、イエスの活動のクライマックスのように描いている。たしかに、この出来事は、イエスの数ある不思議な業の一つではなく、イエスの働きを要約するような象徴的な出来事と言うべきである。
 イエスの後を追ってきた大群衆は、男だけでも5000人というから、何万人のファンが押し掛ける現代のイベントを考えても、決して見劣りはしない。共観福音書は、群衆の飢えを強調するが、ヨハネはあえてそれに触れない。しかし、彼らの腹を満たすために、どれだけの食糧が必要なのか、「200デナリオンのパン」と聞くだけで、それが、貧しい人々には縁遠い数字であることがわかる。そうした状況の中で、イエスは敢えて、弟子たちの協力を求める。しかし、彼らの手元にあるのは、「5つのパン」と「2匹の魚」だけ。まさに無力の極みである。
 かつて、イエスラエルの民は、エジプトから解放された後、約束の地に入るまでに、人がほとんど生きることのできない砂漠での生活を強いられた。そこで彼らが飢えをしのいだのは、不思議な糧、マナのおかげだった。
 イエスが、夥しい群衆に有り余るほどのパンを与えのは、教会の歴史の中で、人々がイエスの体となったパンによって力をいただき続けたことの前表だった。それは、今の時代でも、神の国の完成に向かって旅を続ける神の民にイエスが残し、どんな無力と絶望の中でも希望を与え続ける「旅路の糧」として、教会が大切に守り続ける宝の前触れだったのである。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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