• 復活節第四主日A年(4/26)

    わたしが来たのは、羊が命を受けるため、
    しかも豊かに受けるためである。

    🌸 第一朗読 (使徒言行録2:14a、36-41)

    使徒たちの宣教

     〔五旬祭の日、〕ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話した。36「イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」
     37人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。 38すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。 39この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」 40ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。 41ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。

    🌸 答唱詩編 詩編23 典123①②③④

    答: 主はわれらの牧者、
       わたしは乏しいことがない。

    神はわたしを緑のまきばに伏させ、
    憩いの水辺に伴われる。
    神はわたしを生き返らせ、
    いつくしみによって、
    正しい道に導かれる。

    たとえ死の陰の谷を歩んでも、
    わたしは災いを恐れない。
    あなたがわたしと共におられ、
    そのむちとつえはわたしを守る。

    あなたははむかう者の前で、
    わたしのために会食を整え、
    わたしの頭に油を注ぎ、
    わたしの杯を満たされる。

    神の恵みと慈しみに
    生涯伴われ、
    わたしはとこしえに
    神の家に生きる。

    🌸 第一朗読 (一ペトロ2:20b-25)

    使徒ペトロの手紙

     〔愛する皆さん、〕善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。 21あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。
     22「この方は、罪を犯したことがなく、
     その口には偽りがなかった。」
    23ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。 24そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。 25あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。

    アレルヤ唱 典264(第四主日)

    アレルヤ、アレルヤ。わたしは善い牧者。わたしは羊を知り、羊はわたしを知っている。アレルヤ、アレルヤ。

    🌸 福音朗読 (ヨハネ10:1-10)

    ヨハネによる福音

     〔そのとき、イエスは言われた。〕1「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。 2門から入る者が羊飼いである。 3門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。 4自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。 5しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」 6イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
     7イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。 8わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。 9わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。 10盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」

    🌸 分かち合い

     今日のみ言葉を振り返ってみると、羊と羊飼いの話が繰り返し出てきたことに気づかれたと思う。またか、と思われる方もあろうが、初めて読むような気持で読み直してみれば、きっと、何か、新しいことに出会うはず。

     羊をテーマにした話は、旧約聖書にもよく表れる。今日の答唱詩編、詩編23編は、おなじみの詩編。歌のメロディーが自然に浮かぶ方も少なくないだろう。神を羊飼い、牧者にたとえ、羊であるわたしたちが、信頼を寄せて生きて行くよう励ます、慰め深い詩。他方で、旧約の預言書には、牧者について厳しい言葉を浴びせるものもある。羊のことを心に懸けず、もっぱら自分たちの事だけを考える牧者、当時のイスラエルの指導者・王を批判する言葉も見られる。そこでは、牧者としての使命を果たさない指導者に代わって、神ご自身が牧者になって、人々を導き養うことが述べられている。「わたし自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。」(エゼキエル34.11)人の上に立つとき、人々に対して大きな責任を負う立場に置かれたとき、是非思い出したい箇所である。

     しかし、旧約聖書が記していることは、そこで終わるのではなく、新約に続き、新約で完成される、神の計画の前半であることを忘れてはならない。新約聖書の中に、「羊」に関係する話がいくつもあることはご存じだろう。それは、イエスの言葉の中に、よく表れている。マタイやルカが記している、有名な「失われた羊」、あるいは、「迷った羊」の話がそうだ。群れから離れ、孤独な歩みを続ける人間をどこまでも探し求め、正しい道に導いてくださる神の慈しみにみちた心を表わすたとえだ。

     しかし、今読まれたヨハネ福音書の話はもう一歩進んで、イエスが言われる羊飼いはどのような存在なのか、考えさせてくれる。実は、今日の話のすぐに後に出る有名な言葉、「わたしはよい羊飼いである」から始めた方がよいかもしれない。羊飼いは、主人に託された羊を責任をもって世話するのは当然だが、イエスは、あえて「よい羊飼い」と言われる。それは、ただ羊の世話をするだけでなく、いざと言う時に、自分の命を懸けて、羊を守る存在、「羊のために命を捨てる」ものだと、イエスは断言される。それほど、羊を大事にし、愛する羊飼いがどれほどいるだろうか。口先では立派なことを言いながら、いざとなると、我先にと身を隠す羊飼いを見慣れているのではないか。

     今日の箇所でイエスは言われる、「門を通らないでほかの所を乗り越えて来るものは、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである」と。イエスの時代、神が用意された門を通らずに、自分勝手な教えをもって人々を惑わし、滅びに向かわせる人々がいたことを暗示しているのだろう。イエスは言われる、「わたしは門である」と。イエスこそが、神が用意された、神の牧場へと開かれた門である。それは、同時に、イエスが歩かれた道、人々の目には、道とも思えない、細く、狭い、みすぼらしい道かもしれない。あえて、人々が避けようとする、イエスが自ら歩かれた道、十字架に至る道である。しかし、それこそが、いのちに至る門であり、道である、とイエスは言われる。

     そして、もう一つの点、それは、羊飼いが、羊の名を知り、名を呼んで、導かれるということ。つまり、羊のことを、遠くから、数だけ数えて、群れとして集団として、漠然と知るのではなく、近くから、そのすべてを知り、その必要を熟知しているということ。「名前を呼ぶ」とは、一人一人をかけがえのない存在として認め、受け入れ、愛することではないか。そして、羊飼いに知られたものは、逆に、羊飼いを知り、羊飼いの声を聞きわけ、ついてゆく、と。そのような羊飼いに導かれるものが救いに至る、「わたしを通って入る者は救われる」とは、そのような意味ではないか。「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」とイエスは言われる。その真の牧者に日々、へりくだってつき従う、同時に、自分も羊飼いとしての使命を受けていることを意識し、イエスの心をもって託された務めを果たすことができるよう祈ろう。(S.T.)

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