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教皇の意向:子を失った親 (11月)

復活節第四木曜日(5/13)

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『わたしはある』

ヨハネ13:19
集会祈願

聖なる父よ、聖カタリナは、あなたの愛に燃えて御子の受難を黙想し、教会の奉仕に献身しました。聖人の祈りに支えられるわたしたちが、キリストの死と復活に結ばれ、救いの喜びに生きることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (使徒言行録13.13-25)

 13パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。 14パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。 15律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。 16そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った。
 「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください。 17この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました。 18神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、 19カナンの地では七つの民族を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったのです。 20これは、約四百五十年にわたることでした。その後、神は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちを任命なさいました。 21後に人々が王を求めたので、神は四十年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり、 22それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』 23神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。 24ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。 25その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』

🌸 答唱詩編 詩編89 典38①③

:神のいつくしみをとこしえに歌い、
  主のまことを代々に告げよ。

わたしはしもべダビドを選び、
とうとい油を彼に注いだ。
わたしの手はいつも彼とともにあり、
わたしの腕は彼を強める。   【答】

わたしの慈しみは永遠に変わることなく、
わたしの結んだ契約はとこしえに保たれる。
わたしは契約を破らず、
約束したことばを変えない。   【答】

アレルヤ唱 典265 ⑦

アレルヤ、アレルヤ。イエス・キリスト、まことのあかしをたてた人、死者の初穂。わたしたちを愛し、ご自分の血で罪を清めてくださったかた。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ヨハネ13.16-20)

ヨハネによる福音
 16〔イエスは弟子たちの足をお洗いになった後、こう言われた。〕はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。 17このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。 18わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない。 19事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。 20はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

奉納祈願

恵み豊かな神よ、聖カタリナを記念してささげるこの供えものを受け入れて下さい。聖女の教えに従い、あなたに心からの感謝をささげることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

いつくしみ深い父よ、聖カタリナのいのちを支えたこの秘跡によって、わたしたちを永遠のいのちに導いてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 最後の晩餐の席で、イエスは弟子たちの足を洗います。そして、自分の模範に従って、弟子たちも同じようにすることを求めます。それは、ただ、人々の足、互いの足を洗うようにとの勧めではなく、自分が師であるイエスから足を洗われたものとして、つまり、ゆるされた罪びととして、主のゆるしをもたらすように、との戒めです。
 だから、イエスは言われます、「僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない」と。僕である弟子は、ただ、主人の真似をして、主人がしたように、人々の足を洗うのではなく、主人からゆるしの愛を受けたものとして、あくまでも僕として、人々にゆるしをもたらすのです。「僕は主人にまさることはない」のです。
 晩餐の説教の中には、イエスを裏切る弟子の話が度々出ますが、それは、ただ、ユダを弾劾するのではなく、他の弟子たちも、そうした誘惑にさらされる、弱い、罪びとであることを思い出させるだめではないでしょうか。
 今日の結びの部分に、一歩進んだ考えが現れます。「わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである」と。弟子たちの中核にいる12人は、使徒(Apostolos)呼ばれます。遣わされたもの、の意味です。遣わされたものは、あくまで遣わした方を証しし、遣わした方のもとに人々を導く使命を受けています。そうした心を自分の心とすることができるよう導きを祈りましょう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. わたしはある
    とイエス様が言ってくださることほど勇気が出ることはない。
    この喜びに満ちた勇気を伝えたいが失敗ばかり。
    天気がよい午後を満喫したい。

    返信

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