集会祈願
🌸 第一朗読 第一朗読 (使徒言行録15.1-6)
1〔その日、〕ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。 2それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。 3さて、一行は教会の人々から送り出されて、フェニキアとサマリア地方を通り、道すがら、兄弟たちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた。 4エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。 5ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言った。
6そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。
🌸 答唱詩編 詩編122 典173 ①②
アレルヤ唱 典264 5B
🌸 福音朗読 (ヨハネ15.1-8)
ヨハネによる福音
1〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 2わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 3わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 4わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 6わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 7あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 8あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
今日の福音書は私たちに生きている主イエスとのつながり、主イエスから命を頂くことを示してくださいます。ぶどうの枝がその木につながるように、私たちも主イエス・キリストにつながっています。主イエスにつながっているならば、いのちを得、自分では実を結ぶことができます。ここでは、重要なポイントは主イエスにつながることでしょう。殉教者であり、すべての聖人は自分のいのちより、主イエスとの結び、主イエスにとどまりのほうが大事にしています。主イエスは次のように言います。「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである」(マタイ10:39)。ほかの箇所では、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」(マタイ16:25)と書いてあります。
主イエスのために自分のいのちをかけて、主イエスにつながるのを証することができる恵みを願い求めましょう。ここで、重要なことは、もう一度申し上げますと、主イエスにつながること、神の愛にとどまることです。
さらに、レビ記の中には次のように書いてあります。「わたしはあなたたちの神、主である。あなたたちは自分自身を聖別して、聖なる者となれ。わたしが聖なる者だからである」(レビ記11:44)。聖なる者になりなさいということは私たちに呼びかけられています。誰にでも呼びかけられています。そのため、方法は一つしかありません。それは主イエスにつながることです。どうか、このミサを通して、私たちは主イエスにつながるめぐみが与えられますよう、一緒に祈りましょう。