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教皇の意向:子を失った親 (11月)

復活節第二水曜日(4/19)

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神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された

ヨハネ3:16
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録5.17-26)

 17〔その日、〕大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は皆立ち上がり、ねたみに燃えて、 18使徒たちを捕らえて公の牢に入れた。 19ところが、夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出し、 20「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と言った。 21これを聞いた使徒たちは、夜明けごろ境内に入って教え始めた。一方、大祭司とその仲間が集まり、最高法院、すなわちイスラエルの子らの長老会全体を召集し、使徒たちを引き出すために、人を牢に差し向けた。 22下役たちが行ってみると、使徒たちは牢にいなかった。彼らは戻って来て報告した。 23「牢にはしっかり鍵がかかっていたうえに、戸の前には番兵が立っていました。ところが、開けてみると、中にはだれもいませんでした。」 24この報告を聞いた神殿守衛長と祭司長たちは、どうなることかと、使徒たちのことで思い惑った。 25そのとき、人が来て、「御覧ください。あなたがたが牢に入れた者たちが、境内にいて民衆に教えています」と告げた。 26そこで、守衛長は下役を率いて出て行き、使徒たちを引き立てて来た。しかし、民衆に石を投げつけられるのを恐れて、手荒なことはしなかった。

🌸 答唱詩編 詩編34 典128 ①②

アレルヤ唱 典268 ㉑

🌸 福音朗読 (ヨハネ3.16-21)

ヨハネによる福音
 16神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 17神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。 18御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。 19光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。 20悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。 21しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の箇所は、イエスとニコデモとの対話の続きの形を取るが、実は、イエスの死後、復活の光のもとに使徒たちが、そして、教会がたどり着いた、それまでにはなかった、まったく新しいキリスト理解が、短い言葉で要約されている。ヨハネは言う、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と。
 「世」と言えば、コスモスという言葉自体が連想させるように、神が造られた調和に満ちたこの世界のことだが、同時に、その創造主である神と、その業を受け入れようとしないかたくなな人間を表わす言葉としても使われる。「独り子」とは、イエスの言葉によって、ようやく触れることができた神ご自身のいのちの内実を表わす言葉である。神は、自らに等しい、御子を人としてこの世に送り、さらには、人々の手によって亡き者とされることを許し、それによって、人間が神の命に生きるようにされた。いわば、神は自らの最も貴重な宝を人間のために、惜しむことなく差し出されたのである。ヨハネ、そして、パウロは、そこに、神の愛がある、と宣言する。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示された」(ロマ5.8)。
 この神の愛にどう応えればよいのか。まずは、その神の愛の大きさを感じる恵みを祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. 使徒言行録5.17に「ねたみに燃えて」とある。
    このねたみは、努力とあきらめで解消するものではない。
    分かち合いの最後に言われている神の愛の大きさを感じる恵みに与ることが基盤となる。
    そして、神の愛の大きさを感じるとは、神の独り子イエス・キリストを信じること。

    そして、ヨハネによる福音。
    「信じない者は既に裁かれている。、、光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それがもう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて光の方にこないからである。」
    再度、使徒言行録。
    「人々は皆立ち上がり、ねたみに燃えて、使徒たちを捕えて公の牢に入れた。」
    現代日本社会でも聖書の言葉が実現した。

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