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教皇の意向:子を失った親 (11月)

復活節第三水曜日(5/4)

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わたしが命のパンである

ヨハネ6:35
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録8.1b-8)

 その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。 2しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。 3一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。  
 4さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。 5フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。 6群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。 7実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。 8町の人々は大変喜んだ。

🌸 答唱詩編 詩編66 典130 ①②

アレルヤ唱 典275 ⑤

🌸 福音朗読 (ヨハネ6.25-40)

ヨハネによる福音
 35〔その時、イエスは人々に言われた。〕「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。 36しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。 37父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。 38わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。 39わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。 40わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 パンの出来事に続く長い説教の一部が読まれました。いきなり、「わたしが命のパンである」というイエスの言葉です。実は、そのすぐ前に、人々がイエスに願います、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と。そのパンとは、かつて、イスラエルの民が砂漠の旅の間、飢えをしのいだ、あの不思議な食べ物「マンナ」とは違い、「わたしの父が天からのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである」と言われたパンのことです。
 ヨハネ4章の、サマリアの女との対話でも、イエスが与える水を飲ませてほしいと頼んだ女にイエスは、「わたしが与える水を飲む者は決して渇くことがない」と言われます。すると、女は「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてよいように、その水をください。」と言います。イエスは、そこでは、まだご自分が何ものであるかを明かされません。
 しかし、今、イエスははっきり言われます、「わたしが命のパンである」と。そして、「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と。「パンである」イエスをいただくために必要なことは、イエスのもとに行くこと、そして、イエスを信じることです。イエスが、神から来られた方、神がお遣わしになった方であることを信じ、受け入れることです。しかし、イエスはご自分を信じない人がいることをご存じです。それでも、イエスは言われます、「わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」と。このイエスの言葉を信じましょう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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