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教皇の意向:子を失った親 (11月)

四旬節第五主日(3/17)

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人の子が栄光を受ける時が来た

ヨハネ12:23
集会祈願

父である神よ、ひとり子イエスはあなたの愛と従順を貫き、すべての人の救いのために、すすんで受難の道を歩まれました。わたしたちもあなたに対する信頼をもって、恐れることなく主の道を歩むことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (エレミヤ31.31-34)

エレミヤの預言

 31見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。 32この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。 33しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 34そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。

🌸 答唱詩編 詩編51 典6①、7①②

 あなたの息吹を受けて、
  わたしは新しくなる。

神よ、慈しみ深くわたしを顧み、
豊かなあわれみによって
わたしのとがをゆるしてください。
悪に染まったわたしを洗い、
罪深いわたしを清めてください。  【答】

神よ、わたしのうちに清い心を造り、
あなたの息吹でわたしを強め、
新たにしてください。
わたしをあなたのもとから退けず、
聖なるいぶきをわたしから
取り去らないでください。   【答】

救いの喜びをわたしに返し、
あなたのいぶきを送って、
喜び仕える心を支えてください。
わたしはあなたへの道を教えよう、
罪びとがあなたのもとに帰るように。  【答】

🌸 第二朗読 (ヘブライ5.7-9)

ヘブライ人への手紙

 7キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。 8キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。 9そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となりました。

詠唱 典262 第5主日B

わたしに仕えたい人はわたしに従いなさい。わたしがいる所にわたしに仕えるひともいる。

🌸 福音朗読 (ヨハネ12.20-33)

ヨハネによる福音

 20さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。 21彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。 22フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。 23イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。 24はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 25自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。 26わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
 27「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。 28父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」 29そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。 30イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。 31今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。 32わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」 33イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。

奉納祈願
 

いのちの与え主である神よ、一粒の麦がひかれて粉になり、練り合わせられて焼かれたこのパンを、今、心をこめてみ前に供えます。キリストの愛といのちを表すこのパンが、わたしたちに新しい力を与える糧となりますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

信じる者の力である神よ、キリストと一つに結ばれたわたしたちを光で満たしてください。苦しみや、困難の中にあっても希望と信頼を失わず、あなたの光を輝かせる者となりますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 ようやく桜が咲き始め、春が来たことを感じます。冬の厳しさが並でなかったためか、「ようやく」という思いを強くもつのではないでしょうか。自然がよみがえるのを見るのはうれしいことですが、この時期は、同時に別れのときでもあり、東日本大震災のような、かつて受けた大きな傷を思い出すときでもあります。この毎年巡ってくる喜びの春は、わたしたち信仰者にとっては、主が受けられた苦しみの記念の時でもあります。四旬節が終わり、いよいよ来週の日曜日は受難の主日、そして、聖週間を経て、復活祭を迎えるときです。

 今日の典礼にも、そのことが色濃く表れています。ヨハネ福音書は、主イエスが受難の前に、エルサレムに入られたときのことを伝えています。祭りのためにやってきたギリシャ人がイエスに会いたいと、弟子に願った話が記されていますが、なぜ、そこに置かれたのかと不思議に思います。そこで、イエスは、有名な言葉を投げかけます、「人の子が栄光を受けるときが来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」と。麦の粒は、地に落ちて土に埋もれれば、その姿は見えなくなる。しかし、やがて芽を出し、穂をつけると実を結び、大きな収穫へと発展する。イエスは、自然の営みの中に展開される厳しい現実にたとえて、自らが受けようとしておられる苦しみと、その先にある十字架の死を予告されます。しかし、死ですべてが終わるのではなく、大きな実りをもたらすもの、まさに栄光への道であることを暗示されます。そして、それがご自身の道であるだけでなく、イエスに従う者皆の歩むべき道であることを教えられます。「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」と。何度この言葉を耳にし、何度、戸惑いを感じたことでしょうか。にわかには信じられない言葉です。しかし、これこそが、イエスの歩かれた道、そして、イエスに従う者の道なのです。

 と言っても、イエスご自身も、自らの苦しみの前に、恐れ悶えます。「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください」と。共観福音書が、最後の晩餐の後、ゲッセマネの園で祈られたイエスの心を、ヨハネはこのような形で表しています。苦しみを前にして、人間が抱く恐れ、不安、疑い、不信、そのすべてを、主ご自身も経験されたのです。

 しかし、イエスは、その苦しみが無意味に終わるものではなく、栄光への道であることを知っておられます。天からの声が聞こえ、「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう」と。そして、イエスは、その苦しみと死によって、世が裁かれ、この世の支配者が追放されること、さらには、すべての人をご自分のもとに引き寄せることを確信しておられたのです。
 
 今日、3月17日、教会は「日本の信徒発見の聖母」をも記念しています。250年におよぶ、司祭も秘跡もない状態の中で、ひそかに信仰を守り伝えてきたキリシタンの末裔は、建てられて間もない大浦天主堂を訪れ、自分たちが同じ信仰を生きるものであることを公言しました。長い苦しみの後に、主の恵みの日が訪れたことを喜び合ったのです。主イエスが十字架の苦しみを通して、教会に残された遺産を、ともに分かち合う恵みに感謝をささげたのです。

 今、わたしたちは、様々な形で、不自由な生活を強いられています。預言者エレミヤが、高らかに歌った「新しい契約」の下に生きる者でありながら、それを声を上げて歌い上げることができません。この歯がゆさと不安の中で、わたしたちの信仰を誇りをもって公言し、分かち合う勇気と希望を願いましょう。そして、ミサの中で繰り返し、現実化される神秘―わたしたちが捧げる供え物が、わたしたちを生かし養う主の御体となる神秘―を、心からたたえ、喜びあう日が、一日も早く訪れるように祈りましょう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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