集会祈願
🌸 第一朗読 (列王記下5:1-15)
列王記
〔そのころ、〕1アラムの王の軍司令官ナアマンは、主君に重んじられ、気に入られていた。主がかつて彼を用いてアラムに勝利を与えられたからである。この人は勇士であったが、重い皮膚病を患っていた。 2アラム人がかつて部隊を編成して出動したとき、彼らはイスラエルの地から一人の少女を捕虜として連れて来て、ナアマンの妻の召し使いにしていた。 3少女は女主人に言った。「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」 4ナアマンが主君のもとに行き、「イスラエルの地から来た娘がこのようなことを言っています」と伝えると、 5アラムの王は言った。「行くがよい。わたしもイスラエルの王に手紙を送ろう。」こうしてナアマンは銀十キカル、金六千シェケル、着替えの服十着を携えて出かけた。 6彼はイスラエルの王に手紙を持って行った。そこには、こうしたためられていた。
「今、この手紙をお届けするとともに、家臣ナアマンを送り、あなたに託します。彼の重い皮膚病をいやしてくださいますように。」 7イスラエルの王はこの手紙を読むと、衣を裂いて言った。「わたしが人を殺したり生かしたりする神だとでも言うのか。この人は皮膚病の男を送りつけていやせと言う。よく考えてみよ。彼はわたしに言いがかりをつけようとしているのだ。」 8神の人エリシャはイスラエルの王が衣を裂いたことを聞き、王のもとに人を遣わして言った。「なぜあなたは衣を裂いたりしたのですか。その男をわたしのところによこしてください。彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」
9ナアマンは数頭の馬と共に戦車に乗ってエリシャの家に来て、その入り口に立った。 10エリシャは使いの者をやってこう言わせた。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」 11ナアマンは怒ってそこを去り、こう言った。「彼が自ら出て来て、わたしの前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を動かし、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた。 12イスラエルのどの流れの水よりもダマスコの川アバナやパルパルの方が良いではないか。これらの川で洗って清くなれないというのか。」彼は身を翻して、憤慨しながら去って行った。 13しかし、彼の家来たちが近づいて来ていさめた。「わが父よ、あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりなさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。」 14ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。
15彼は随員全員を連れて神の人のところに引き返し、その前に来て立った。「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。今この僕からの贈り物をお受け取りください。」
🌸 答唱詩編 詩編42 典144①②③、④⑤
アレルヤ唱 典261⑤
🌸 福音朗読 (ルカ4:24-30)
ルカによる福音
〔そのとき、イエスは、ナザレの会堂で人々に言われた。〕「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。 25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、 26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。 27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」 28これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、 29総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。 30しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
イエスの公生活のはじめに起きた衝撃的な出来事。この箇所を読むたびに、このようなことが、まだ活動を始めて間もない時期に、実際にイエスの故郷ナザレで起きたのだろうか、という疑問が湧いてくる。
「自分の故郷」と言えば、現代の都会と正反対で、そこに住む人のことはすべて、知り尽くされ、評価され、判断され、いわば、支配される世界である。そこは自分たちの世界で、より広い世界の干渉を一切受け付けない、無言のルールのある世界である。現代でも、いくつかの大国にみられる「自国第一主義」につながるものかもしれない。
それに対して「預言者」は、人間の思いを超えた神の思いを伝えるメッセンジャーで、喜びの便りをもたらすことがあれば、人々の反感を呼び起こすこともまれではない。むしろ、そのことの方が多いかもしれない。
イエスの生涯は、まさに、預言者の生涯だった。人々の反発がいつ、どこで起こったかは問題ではない。預言者自身がそのような人々の反発・抵抗を生む使信を告げる使命を託されたものである限り、それが、どこで起きても不思議ではない。「自分の故郷」であればなおさらである。
ルカは、イエスがそのような預言者の道を、公生活のはじめから歩まれたことを伝えようとしたのだろう。弟子たちが、より広い世界に飛び立つ前に、イエスが、自分の民によって、苦しみを受け、そのような道を通して栄光に入ることを、自らの福音を通して伝えようとしたのである。(S.T.)