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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

三位一体の主日(B)(5/26)

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彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け

マタイ28:19
集会祈願

聖なる父よ、あなは、み言葉と聖霊を世に遣わし、神のいのちの神秘を示してくださいました。唯一の神を礼拝するわたしたちが、三位の栄光をたたえることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (申命記4.32-34、39-40)

 32あなたに先立つ遠い昔、神が地上に人間を創造された最初の時代にさかのぼり、また天の果てから果てまで尋ねてみるがよい。これほど大いなることがかつて起こったであろうか。あるいは、そのようなことを聞いたことがあろうか。 33火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きている、あなたと同じような民があったであろうか。 34あるいは、あなたたちの神、主がエジプトにおいてあなたの目の前でなさったように、さまざまな試みとしるしと奇跡を行い、戦いと力ある御手と伸ばした御腕と大いなる恐るべき行為をもって、あえて一つの国民を他の国民の中から選び出し、御自身のものとされた神があったであろうか。
 39あなたは、今日、上の天においても下の地においても主こそ神であり、ほかに神のいないことをわきまえ、心に留め、 40今日、わたしが命じる主の掟と戒めを守りなさい。そうすれば、あなたもあなたに続く子孫も幸いを得、あなたの神、主がとこしえに与えられる土地で長く生きる。

🌸 答唱詩編 詩編33 典46 ①②③

 神の注がれる目は、神をおそれる者に、
  神の愛に希望をおく者の上に。

神のことばはただしく、
そのわざにはいつわりがない。
神の正義と公平を愛し、
いつくしみは地に満ちている。  【答】

天は神のことばによってつくられ、
星座はそのいぶきによってすえられた。
神のはからいはとこしえに、
み心の思いは世々に及ぶ。  【答】

神はたて、神はすくい、
わたしたちは神を待ち望む。
心は神のうちにあってよろこび、
とうといその名により頼む。  【答】

🌸 第二朗読 (ローマ8.14-17)

 14〔皆さん、〕神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。 15あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。 16この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。 17もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。

アレルヤ唱 典266 三位一体

アレルヤ、アレルヤ。栄光は父と子と聖霊に。神は今あり、かつてあり、また来られる方。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マタイ28.16-20)

マタイによる福音

 16〔そのとき、〕十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。 17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。 18イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 19だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、 20あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

奉納祈願

全能永遠の神よ、この供えものを聖霊によってとうといものとしてください。あなたに仕えるわたしたちも、永遠の供えものとなりますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

いつくしみ深い神よ、とうとい秘跡にあずかったわたしたちが、心もからだも強められ、唯一の神、父と子と聖霊の栄光をたたえることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 三位一体の祝日が正式に典礼に取り入れられたのは14世紀のことと言われます。しかし、遡ってみれば、今読まれたマタイ福音書の最後に「父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」とあるように、初代教会(1世紀後半)から、その考えは、教会生活の中心に置かれていたようです。「父と子と聖霊」と言えば、わたしたちの祈りの前後に必ず加える言葉であり、主日のミサで唱える信条の骨格は、父と子と聖霊の神への信仰告白です。それほど、三位一体はわたしたちの信仰生活と深いつながりがありますが、はたしてどこまで、その意味を理解しているでしょうか。

 「三位一体」(Trinity、Trinitas)という言葉は、古代の教会の激しい論争の結果生まれた言葉ですが、その根本となる考えは、イエスご自身に遡ります。今日の第一の朗読、申命記が記すように、イエスラエルの民は、周囲の民とは違う、唯一の神、創造主であり、すべてを超える方、同時に慈しみに満ちた神を礼拝することを何よりも大事にしてきました。親しいものを諭すようにイスラエルに語りかけ、様々な不思議な業を通して養い育て、その歴史を導いて来られた、そのような神を知り、その愛を受けたことを何よりも誇りと感じていたのです。

 そのような民の中に生を受けたイエスは、その伝統を受け継ぎながらも、彼らのまったく思いも及ばない神の現実を知らせることを自らの使命とされました。人々にとって、時に厳しく恐ろしい、遠い存在と思われた神を「父」と呼び、自分がその父から遣わされたものであることをはばかることなく明かされました。ヨハネによれば、その父と自らを一体化させたことが、イエスを死に追いやる最大の要因であったようです。イエスは自らが去った後、自分に代わって父からの使命を果たす父の霊、真理の霊が遣わされることを約束されました。先日祝った聖霊降臨は、まさに、そのことの記念であり、イエスに託された使命の完成でした。

 イエスを信じる者は、この三位の神を信じる人々であり、三位の神のいのちに与る恵みを受けた人々です。三位一体の主日にあたって、この大きな恵みに感謝しましょう。だれも自ら知ることのできない神の世界、神のいのちの神秘を惜しみない心で示し、その神の子としてくださった主イエスに感謝しましょう。そして、この神のいのちの神秘を、自らの言葉で書き記し、人類に神のいのちの宝庫を開いて見せてくれた福音史家、そして、その神秘のより深い理解・解明のため命を賭して戦った教父、神学者に感謝しましょう。また、この悟ることのできない神のいのちの神秘を自らの生き方、語り方、愛し方を通して、人々に証ししてくださったあまたの聖人たちに感謝しましょう。そして、わたしたちも自らの生涯を通して、少しでも、三位の神の愛に満ちた命を人々とわかちあうことが出来るよう、主の恵みを祈りましょう。(S.T.)

🌸 他の分かち合い

 三位一体の祭日は、私たちが交わり、いやし、憐れみ、神に信頼するパン種となるために、日々の出来事に向き合うよう招いています。今日のマタイ福音書が語りますように、私たちは復活したイエス・キリストによって派遣され、その使命を行うにあたり、神が世の終わりまで、いつも私たちと共にいるという神の約束、神の愛に支えられています。「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」。一番簡単な信仰宣言は十字架のしるしをする時だと思います。皆さん、三位一体である神の愛の絆を黙想しながら、心を合わせて、このごミサを捧げてまいりましょう。

 皆さん、もう一度、父と子と聖霊という三位一体の神への信仰を宣言しながら、十字架を切りましょう。このしるしは私たちの存在の意味、私たちの信仰や生き方の意味があらわれるのです。私たちは三位一体の神を告白しています。それから、皆さんと一緒に三位一体の存在について考えてみたいと思います。これは理論するよりも、その存在を感じるほうが大事だと思います。

 神は父と子と聖霊という三位のペルソナを持っています。こうして、神は共同体としてまた家族として存在するのです。三位のペルソナで成る「家族」は皆互いに愛し合って、この愛によって、一つになり、唯一の神となるのだと考えられています。この「神の家族」は、自らの内に閉じこもらずに、開かれています。だからこそ、これは我々の模範的な存在です。今、コロナの状況で、何よりもこのような存在は私たちにとって最も重要な存在ではないでしょうか。ほとんど出かけることができないので、家族を中心とするようになります。家族の絆をもっと深く結ぶことができますように。

 そのうえ、三位一体の形によって、私たちの人生に大きな意味が与えられると思います。それは神の愛です。この愛によって、美しい宇宙は創造されてくださいます。また私たちは、神の愛の似姿によって造られ、主イエス・キリストの愛によって救われ、命が与えられています。愛とか、分かち合いやいのちなどは三位一体の神から出てきたものです。言い換えてみますと、神の共同体から生まれたものです。

 確かに、愛し合い、分かち合いや交わり合いなどは一人だけでは絶対存在しません。だからこそ、三位一体には、私たちの共同体、私たちの教会の模範が示されています。教会では、主イエスが私たちを愛して下さったように、私たちがお互いに愛し合うように求められています。私たちは教会に来て、ただ一人ひとり別々に神を礼拝するわけではありません。むしろ、私たちは教会でお互いに分かち合うこと、ご一緒に祈ること、特にごミサの中で聖体拝領をすることを通して、お互いに三位一体の交わりを体験することができると思います。これは三位一体のしるしではないでしょうか。私たちは三位一体への信仰を宣言する時に、神の愛を証することが出来ると思います。

 神の愛はどうやって分かるでしょうか。主イエス・キリストは私たちにそれを教えてくださいます。主イエス・キリストを通して、神は私たちの近くにおられます。神はいつも私たちのすぐそばにいて下さいます。神は喜び、悲しみ、希望、苦悩を私たちと分かち合うために一緒に歩んでくださいます。更に、神はそのひとり子イエスを私たちにお与えになり、その子は私たちの救いのために十字架の上で命を捧げてくださいました。やはり、神の愛は十字架の愛です。「父と子と聖霊のみ名によって」という信仰を宣言するとき、十字架をつけます。十字架の中心となります。このことを忘れては行けませんと思います。私たちの愛も十字架の愛です。即ち、それは捧げの愛であり、救いの愛であります。

 三位一体の手による完全な被造物おとめマリアの助けによって、ささやかなしぐさや重大な決断の積み重ねである私たちの生活全体が、十字架の愛である神への証となりますように。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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