年間第三十二主日A年(11/8)
目を覚ましていなさい
🌸 第一朗読 (知恵6・12-16)
知恵の書
12知恵は輝かしく、朽ちることがない。
知恵を愛する人には進んで自分を現し、
探す人には自分を示す。
13求める人には自分の方から姿を見せる。
14知恵を求めて早起きする人は、苦労せずに
自宅の門前で待っている知恵に出会う。
知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、
15知恵を思って目を覚ましていれば、心配もすぐに消える。
16知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、
道でその人たちに優しく姿を現し、
深い思いやりの心で彼らと出会う。
🌸 答唱詩編 詩編146 典19 ①③④
【答】荒れ地のかわき果てた土のように、神よ、わたしはあなたを慕う。
神よ、わたしの神よ、わたしはあなたを慕う。
水のない荒れ果てた土地のように、
わたしの心はあなたを慕い、
からだはあなたをかわき求める。【答】
あなたの力と栄えにあこがれて、
聖所であなたを仰ぎ見る。
あなたの恵みはいのちにまさり、
わたしの口はあなたをたたえる。【答】
いのちのある限り、あなたに感謝し、
手を高く上げてあなたの名を呼び求める。
もてなしを受けた時のように、
わたしの心は豊かに満たされる。【答】
🌸 第二朗読 (1テサロニケ4・13-18)
使徒パウロのテサロニケの教会への手紙
13兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。14イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。
15主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。16すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、17それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。18ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。
アレルヤ唱 典274 32A
アレルヤ、アレルヤ。目覚めて用意していなさい。人の子は思いがけない時に来る。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マタイ25・1-13)
マタイによる福音
そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。1「天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。2そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。3愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。4賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壼に油を入れて持っていた。5ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。6真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。7そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。8愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』9賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』10愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。11その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。12しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。13だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

🌸 分かち合い
ここ数日の間に、急に肌寒い日が増え、あわてて冬物を用意された方も少なくないでしょう。11月に入り、再来週の王であるキリストの主日をもって教会暦もいよいよ終わりを迎え、月末から待降節、そして、新しい教会暦年に入ります。そんな時期、典礼のみ言葉にも、それを感じさせるものがにじんできます。今年はA年でマタイ福音書が読まれてきましたが、今日は受難の直前に置かれた、世の終わりにまつわる一連のたとえから、25章の「十人のおとめのたとえ」が読まれました。花婿の到来を待ち受ける10人のおとめ―5人の賢いおとめと5人の愚かなおとめ―の話です。「目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」と、再臨の日に備えるようにと促す言葉で結ばれています。
今の時代、頻繁に起きる自然災害に対して、社会全体が非常に敏感になっていて、繰り返し、非常時に備えて、あれこれ用意するよう呼びかけられています。自然災害だけでなく、ウクライナとロシアの間の戦争状態に加えて、一月前から、イスラエルとパレスチナ(イスラエルにとってはハマス)の間にも信じがたい戦闘状態が展開しています。そして、アジアも決して、無関係でないことを、日々痛感させられます。そんな外の世界、わたしたちが生きる現実に対しては、日々報道機関を通して流される多くの情報に関心が向けられますが、はたして、わたしたち自身の人生の現実に対して、また、いつの日か訪れる終わりについて、どれだけ考えが及んでいるでしょうか。
今日の『マタイ福音書』から読まれたたとえは、「天の国」(神の国)のたとえとして語られています。「神の国」ですから、わたしたちが生きるこの世の現実と違いがあることは言うまでもありません。人間の世界の指導者ではなく、すべてを超える神が支配される現実です。あまりにこの世の現実に慣れすぎているわたしたちにとって、「神の国」を理解し、受け入れることが難しいことをご承知のイエスは、様々なたとえをもって、それを説明されようとしておられます。今日のたとえは、婚宴のたとえです。神の国は、よく婚宴にたとえられますが、聖書が記された国では、婚宴は夜行われたようです。そこで、花婿を出迎えにゆくおとめたちは、夜道を照らすともし火をもっていました。「賢いおとめたちは、ともしびと一緒に壺に入れた油を用意していた」のに対して、「愚かなおとめたちは、ともしびは持っていたが、油の用意はしていなかった」、とあります。これは何を意味するのでしょうか。夜道を照らすのに「ともしび」は当然必要ですが、現代と違って、長時間もたせるための、便利な油はなかったのでしょう。予想以上に待つことを考えて、予備の油を用意しなかったことは十分考えられることです。
しかし、たとえにある「油」というものは、はたして、仲間からわけてもらう、あるいは、夜中に買いにゆく、その場しのぎのようなものでしょうか。むしろ、ずっと時間をかけて用意する、日々積み重ねていって、自分の中に少しずつできあがる、神からの恵みを意味するものではないでしょうか。今の時代、何でも、簡単に手に入るものに依存して、生活しています。つい、時間をかけて、ゆっくり作られてゆくものを軽視し、あるいは無視していないでしょうか。神からいただく恵みというものは、まさにそのような、時間をかけて自分の中に培われてゆく、そのような状態を指すものです。端的に言えば、いざというときに、本当に意味を持つのは、付け焼刃的な、人が見てすぐそれとわかるようなものではなく、地味であっても、その人の内に築かれる宝のようなものです。終わりの日に、わたしたちを生かすのは、まさに、そのような恵みであることを主イエスは教えておられるのではないかと思います。
油を持っていた乙女たちは賢いと言われます。「賢い」とは、聖書の中では、単に頭がいい、鋭い、回転が速いということではありません。今日の第一朗読の『知恵の書』と同時代に書かれた『シラ書』には、「主を畏れることは知恵の初め」(シラ1.14)という言葉があります。また、「主を畏れる人は、主の掟に背かない。主を愛する人は、主の道を歩み続ける。主を畏れる人は、主を喜ばせようと心がけ、主を畏れる人は、常に心の備えをし、主の前で、自らへりくだる」(1.15~17)ともあります。主の前で賢いということ、真の知恵とは、心が神に向けられていて、神からそれないということではないでしょうか。反対に、聖書で「愚かな」人とは、神に逆らう人、神への畏れを持たない人、「神はない」、「神は見ていない」、と言い、また、そのようにふるまう人のことでしょう。主がいつお出でになってもよいように、備えができているということは、たとえ様々なことに心の表が動かされ、波立つことがあっても、心の底がしっかりと神に心が向けられ、揺らぐことがないということではないでしょうか。
わたしたちが用意していなければならないのは、決して、いつの日かわからない遠い未来のこと、世の終わりのことだけではありません。ひとりひとり自分の人生の終わりについて、思いを向けなければなりません。死者の月と言われる11月の間、身近なところで亡くなられた方々のことを考えてみましょう。自分の人生は、自分のものではなく、主のものであり、主が望まれる時に、いつでも、それにお応えできるよう準備していなければなりません。最近、「終活」という言葉が聞こえるようになりましたが、まじめに、そのことも考えなければなりません。
しかし、それは決して恐れをもたらすことではなりません。今日の福音が「婚宴」に因んだものであることは、わたしたち皆が神が用意される婚宴に招かれていることを意味します。希望をもって、恵みに生かされてその日を迎えることができるよう祈りましょう。(S.T.)