年間第十二土曜日(6/27)

イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。

🌸 第一朗読 (哀歌2:2、10-14、18-19)

2ヤコブの人里をすべて、主は容赦せず圧倒し
憤って、おとめユダの砦をことごとく破壊し
この国を治める者、君侯らを
地に打ち倒して辱められた。
10おとめシオンの長老は皆、地に座して黙し
頭に灰をかぶり、粗布を身にまとう。
エルサレムのおとめらは、頭を地につけている。
11わたしの目は涙にかすみ、胸は裂ける。
わたしの民の娘が打ち砕かれたので
わたしのはらわたは溶けて地に流れる。
幼子も乳飲み子も町の広場で衰えてゆく。
12幼子は母に言う
パンはどこ、ぶどう酒はどこ、と。
都の広場で傷つき、衰えて
母のふところに抱かれ、息絶えてゆく。
13おとめエルサレムよ
あなたを何にたとえ、何の証しとしよう。
おとめシオンよ
あなたを何になぞらえて慰めよう。
海のように深い痛手を負ったあなたを
誰が癒せよう。
14預言者はあなたに託宣を与えたが
むなしい、偽りの言葉ばかりであった。
あなたを立ち直らせるには
一度、罪をあばくべきなのに
むなしく、迷わすことを
あなたに向かって告げるばかりであった。
18おとめシオンの城壁よ
主に向かって心から叫べ。
昼も夜も、川のように涙を流せ。
休むことなくその瞳から涙を流せ。
19立て、宵の初めに。
夜を徹して嘆きの声をあげるために。
主の御前に出て
水のようにあなたの心を注ぎ出せ。
両手を上げて命乞いをせよ
あなたの幼子らのために。
彼らはどの街角でも飢えに衰えてゆく。

🌸 答唱詩編 詩編80 典80②③

【答】神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて。

すべてを治める神よ、あなたの力を現し、
わたしたちを救いに来てください。
わたしたちを新たにし、
あなたの顔の輝きで救ってください。【答】

神よ、民が祈っているのに、
いつまで怒りを燃やされるのか。
あなたは悲しみをわたしたちの食物とし、
あふれる涙を飲み物とされた。【答】

アレルヤ唱 典268⑨

アレルヤ、アレルヤ。主は私たちの病を身に負い、わたしたちの苦しみを担ってくださる。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マタイ8:5-17)

マタイによる福音

 〔そのとき、〕イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、 6「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。 7そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。 8すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。 9わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」 10イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。 11言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。 12だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」 13そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。
 14イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。 15イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。 16夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。 17それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
 「彼はわたしたちの患いを負い、
 わたしたちの病を担った。」

🌸 分かち合い

 山を下り、人々の世界に身を置かれたイエスがなさった二つ目のわざは、異邦人の僕の癒し。「わたしは、イスラエルの失われた羊のところにしか遣わされていない」(マタイ15.24)と言われたイエスが、ユダヤ人があれほど厳しく交わりを禁じ、汚れを身に受けないようにした異邦人に癒しの業を行うとは。まず、神から選ばれたユダヤ人に救いをもたらす、との原理をイエスは最初から破られたのだろうか。福音が異邦人の世界に広がったのは、イエスの復活後のことであり、マタイもそれを承知で、あえてイエスの活動の冒頭にこの出来事を記すのは、イエスが単に原理原則で動くのではなく、目の前に現れた現実に誠実に向き合い、対応する、その現実主義の表れであり、それこそが、神の限りない慈しみの実相であろう。
 百人隊長と言えば、たとえ小隊の長であっても、部隊に属する者を思うままに動かすことのできる権限の持ち主である。その彼が、自分の片腕ともいうべき人間の病の前に、どうすることもできない無力を感じている。頼みの綱とも言うべき、自分たちの支配下にあるユダヤ人の男、イエスに恥を忍んで近づく。イエスは、それをイスラエルの中にも容易に見ることのできない「信仰」と称揚するが、誇り高いローマ人にとっては、できることなら避けたい、一種の屈辱、最後の賭けだったのかもしれない。
 イエスは言われる、「わたしが行って、いやしてあげよう」。神の慈しみは、そのようなものであることを心に刻もう。(S.T.)

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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