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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第二十六水曜日(9月30)

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鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない。

ルカ9:62

聖ヒエロニモ司祭教会博士

集会祈願

いつくしみ深い父よ、あなたは聖ヒエロニモに、聖書を学び、深く味わう恵みをお与えになりました。信じる民があなたのことばのうちにいのちの泉を見いだし、日々生きる力を汲むことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (ヨブ9:1-12、14-16)

 1ヨブは友に答えた。2それは確かにわたしも知っている。神より正しいと主張できる人間があろうか。3神と論争することを望んだとしても千に一つの答えも得られないだろう。4御心は知恵に満ち、力に秀でておられる。神に対して頑になりながらなお、無傷でいられようか。5神は山をも移される。怒りによって山を覆されるのだと誰が知ろう。6神は大地をその立つ所で揺り動かし地の柱は揺らぐ。7神が禁じられれば太陽は昇らず星もまた、封じ込められる。8神は自ら天を広げ、海の高波を踏み砕かれる。9神は北斗やオリオンをすばるや、南の星座を造られた。10神は計り難く大きな業を数知れぬ不思議な業を成し遂げられる。11神がそばを通られてもわたしは気づかず過ぎ行かれてもそれと悟らない。12神が奪うのに誰が取り返せよう。「何をするのだ」と誰が言いえよう。14わたしのようなものがどうして神に答え神に対して言うべき言葉を選び出せよう。15わたしの方が正しくても、答えることはできずわたしを裁く方に憐れみを乞うだけだ。16しかし、わたしが呼びかけても返事はなさるまい。わたしの声に耳を傾けてくださるとは思えない。

???? 答唱詩編 詩編130 典117①②

答 主は豊かなあがないに満ち、いつくしみ深い。

神よ、深いふちから
あなたに叫び、
嘆き祈るわたしの声を
聞いてください。 【答】

あなたが悪に目を留められるなら、
だれがみ前に立てよう。
しかし、あなたのしるしのために、
人はあなたをおそれとうとぶ。 【答】

アレルヤ唱 典

 アレルヤ、アレルヤ。キリストに結ばれたものと認められることにくらべれば、キリストのために失ったすべてのことは、ちり、あくたにすぎない。アレルヤ、アレルヤ。

???? 福音朗読 (ルカ9:57-62)

ルカによる福音

 57〔そのとき、イエスと弟子たち〕が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。 58イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」 59そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。 60イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」 61また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」 62イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。

奉納祈願

 恵み豊かな神よ、聖ヒエロニモの模範にならって、あなたのことばを深く味わう恵みをお与えください。わたしたちがみ心にかなった供えものをささげることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

 いのちの源である神よ、聖ヒエロニモの祝日を祝い、とうとい秘跡をいただいたわたしたちの心に光を注いでください。あなたのことばに耳を傾け、その教えに照らされて信仰の道を歩み、永遠のいのちに達することができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 ある人は主イエスのところに近づいて「「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言います。しかし、主イエスの答えは冷たく響きます。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」です。これはいったいどんなことでしょうか。

 主イエスはその人を頭から拒否されたのではないと思います。ただ感銘を受けて、一時の気持ちで主イエスに従っていこうとする彼に向かって、その厳しさを告げられたのでしょう。

 あまりにも自信に満ちた言葉は、かえってなかなか信用できないものだと思われています。ペトロも十字架を目前にした主イエスに向かって、「主よ、ご一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」(ルカ22:33)と言いましたが、主の十字架の前に裏切って、逃げてしまうことになります。

 ただし「もっとじっくり考えて、覚悟を決めてから従ってきなさい」と言われたのであるとすれば、果たして誰が主イエスに従っていくことができるだろうか、という気がします。ですからこの時、主イエスが、その人に対して少し突き放されたような言葉を語られたのは、「従うことを全うされるのは、あなたではなく(人間ではなく)、神なのだ」ということかもしれません。

 私たちが主に従うということが、もし私たちの決心に基づいているのだとすれば、結局のところ、頼りないものではないでしょうか。それは、主イエスのよびかけに対する応答です。主イエスに召しだされて、「それに従うかどうか」の決断をするのです。私たちの場合にあてはめるならば、「主に従いたい」という思いがわきあがった時、それが本当に主の召しに基づくものか、果たして自分の思い込みであるのか、祈りをもってよく考えてみるとよいと思います。主の呼びかけと自分の思い込みをそれぞれ別に考えるのではなく、むしろ、主イエスに従うのは主の呼びかけに対してそれに応答しようとする結果です。勿論、この結果は神の御恵みです。

 今日の個所によりますと、主イエスに従う目的は神の国を告げ知らせるのであるような気がします。どうか、この福音の個所を読むとき、皆さん、ご自分の召し出し、キリスト者になったことを改めて考えましょう。この召し出しを与えてくださった神に感謝しながら、神の国を告げ知らせ、そしてそれを証しするという使命を果たすことができますように一緒にお祈りしたいと思います。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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