詩編 97
1 主こそ王。
全地よ、喜び躍れ。
多くの島々よ、喜び祝え。
2 密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ
正しい裁きが王座の基をなす。
3 火は御前を進み
周りの敵を焼き滅ぼす。
4 稲妻は世界を照らし出し
地はそれを見て、身もだえし
5 山々は蝋のように溶ける
主の御前に、全地の主の御前に。
6 天は主の正しさを告げ知らせ
すべての民はその栄光を仰ぎ見る。
7 すべて、偶像に仕える者
むなしい神々を誇りとする者は恥を受ける。
神々はすべて、主に向かってひれ伏す。
8 シオンは聞いて喜び祝い
ユダのおとめらは喜び躍る
主よ、あなたの裁きのゆえに。
9 あなたは主、全地に君臨されるいと高き神。
神々のすべてを超え、あがめられる神。
10 主を愛する人は悪を憎む。
主の慈しみに生きる人の魂を主は守り
神に逆らう者の手から助け出してくださる。
11 神に従う人のためには光を
心のまっすぐな人のためには喜びを
種蒔いてくださる。
12 神に従う人よ、主にあって喜び祝え。
聖なる御名に感謝をささげよ。
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とはいえ真実に基づき正義を徹底的に貫く!
時に熱くなり徹底的に反駁批判する。
口汚くなっても下品になっても仕方ないときもある。
主イエスだってヘロデをキツネと呼び、ウンチとは言わなかったかも知らんがカワヤや便所ぐらいのことは言った
(マルコ7章19節につき「新共同訳、口語訳が『外』へ出されるなどの訳語を与えているのは、婉曲すぎて不適。」佐藤研ほか訳『新約聖書』岩波書店2004年)。
下品か上品かではなく、下品でも品があればよい、
という趣旨のことを、先頃帰天された鈴木邦男氏の記事を毎日新聞の日曜版に書いた松尾貴史さんが、以前ラジオで言っていた、と思う。
今日2月11日は建国記念の日でありルルドの日だ。日本にだって「ベルナデッタ」とその相棒はいるだろうし、欧米にだって「明治天皇」とその相棒がいるだろう。
汚い!と言われれば、すかさず北がなければ日本三角!と叫びたい。
東西南北上下左右先後云々を問わず、言論のテッポウ玉が無鉄砲に飛び交う自由な空間と時間を確保しつつ、それに疲れたらサバティカルに入れる、そんな国にぼくは住みたい。
佐藤研師は確か愛宮真備師の本を翻訳されていた。
愛宮真備師はリーゼンフーバー師に禅を教えた。リーゼンフーバー師は、ぼくに禅を教えてくれた二人目か三人目の師匠だ。
赤ん坊の頃、股関節脱臼をやったのでうまく座れず、ぼくの禅はヘボ禅だが、しばらく通った地元禅寺の近所で今日、と言っても日付が変わってしまったので昨日、一人の老人が行方不明になったが数時間後、無事発見された。
そう言えば、その地元禅寺に昔、隠れキリシタンがいたことを最近知った。
「人間を探す神」
例の立派なお髭のユダヤ教の老神学者の本のタイトルだったと思う。
2月10日コメントを書いて2月10日の詩編32を読んだ。
まさにこれだ。
世に反発反論しては迷うだけ。
御前に立ち帰らなくては。