詩編 7
1 シガヨン。ダビデの詩。ベニヤミン人クシュのことについてダビデが主に向かって歌ったもの。
2 わたしの神、主よ、あなたを避けどころとします。
わたしを助け、追い迫る者から救ってください。
3 獅子のようにわたしの魂を餌食とする者から
だれも奪い返し、助けてくれないのです。
4 わたしの神、主よ
もしわたしがこのようなことをしたのなら
わたしの手に不正があり
5 仲間に災いをこうむらせ
敵をいたずらに見逃したなら
6 敵がわたしの魂に追い迫り、追いつき
わたしの命を地に踏みにじり
わたしの誉れを塵に伏せさせても当然です。〔セラ
7 主よ、敵に対して怒りをもって立ち上がり
憤りをもって身を起こし
わたしに味方して奮い立ち
裁きを命じてください。
8 諸国をあなたの周りに集わせ
彼らを超えて高い御座に再び就いてください。
9 主よ、諸国の民を裁いてください。
主よ、裁きを行って宣言してください
お前は正しい、とがめるところはないと。
10 あなたに逆らう者を災いに遭わせて滅ぼし
あなたに従う者を固く立たせてください。
心とはらわたを調べる方
神は正しくいます。
11 心のまっすぐな人を救う方
神はわたしの盾。
12 正しく裁く神
日ごとに憤りを表す神。
13 立ち帰らない者に向かっては、剣を鋭くし
弓を引き絞って構え
14 殺戮の武器を備え
炎の矢を射かけられます。
15 御覧ください、彼らは悪をみごもり
災いをはらみ、偽りを生む者です。
16 落とし穴を掘り、深くしています
仕掛けたその穴に自分が落ちますように。
17 災いが頭上に帰り
不法な業が自分の頭にふりかかりますように。
18 正しくいます主にわたしは感謝をささげ
いと高き神、主の御名をほめ歌います。
とはいえ真実に基づき正義を徹底的に貫く!
時に熱くなり徹底的に反駁批判する。
口汚くなっても下品になっても仕方ないときもある。
主イエスだってヘロデをキツネと呼び、ウンチとは言わなかったかも知らんがカワヤや便所ぐらいのことは言った
(マルコ7章19節につき「新共同訳、口語訳が『外』へ出されるなどの訳語を与えているのは、婉曲すぎて不適。」佐藤研ほか訳『新約聖書』岩波書店2004年)。
下品か上品かではなく、下品でも品があればよい、
という趣旨のことを、先頃帰天された鈴木邦男氏の記事を毎日新聞の日曜版に書いた松尾貴史さんが、以前ラジオで言っていた、と思う。
今日2月11日は建国記念の日でありルルドの日だ。日本にだって「ベルナデッタ」とその相棒はいるだろうし、欧米にだって「明治天皇」とその相棒がいるだろう。
汚い!と言われれば、すかさず北がなければ日本三角!と叫びたい。
東西南北上下左右先後云々を問わず、言論のテッポウ玉が無鉄砲に飛び交う自由な空間と時間を確保しつつ、それに疲れたらサバティカルに入れる、そんな国にぼくは住みたい。
佐藤研師は確か愛宮真備師の本を翻訳されていた。
愛宮真備師はリーゼンフーバー師に禅を教えた。リーゼンフーバー師は、ぼくに禅を教えてくれた二人目か三人目の師匠だ。
赤ん坊の頃、股関節脱臼をやったのでうまく座れず、ぼくの禅はヘボ禅だが、しばらく通った地元禅寺の近所で今日、と言っても日付が変わってしまったので昨日、一人の老人が行方不明になったが数時間後、無事発見された。
そう言えば、その地元禅寺に昔、隠れキリシタンがいたことを最近知った。
「人間を探す神」
例の立派なお髭のユダヤ教の老神学者の本のタイトルだったと思う。
2月10日コメントを書いて2月10日の詩編32を読んだ。
まさにこれだ。
世に反発反論しては迷うだけ。
御前に立ち帰らなくては。