詩編 62
1 指揮者によって。エドトンに合わせて。賛歌。ダビデの詩。
2 わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。
神にわたしの救いはある。
3 神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。
わたしは決して動揺しない。
4 お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。
亡きものにしようとして一団となり
人を倒れる壁、崩れる石垣とし
5 人が身を起こせば、押し倒そうと謀る。
常に欺こうとして
口先で祝福し、腹の底で呪う。〔セラ
6 わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。
神にのみ、わたしは希望をおいている。
7 神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。
わたしは動揺しない。
8 わたしの救いと栄えは神にかかっている。
力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。
9 民よ、どのような時にも神に信頼し
御前に心を注ぎ出せ。
神はわたしたちの避けどころ。〔セラ
10 人の子らは空しいもの。
人の子らは欺くもの。
共に秤にかけても、息よりも軽い。
11 暴力に依存するな。
搾取を空しく誇るな。
力が力を生むことに心を奪われるな。
12 ひとつのことを神は語り
ふたつのことをわたしは聞いた
力は神のものであり
13 慈しみは、わたしの主よ、あなたのものである、と
ひとりひとりに、その業に従って
あなたは人間に報いをお与えになる、と。
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とはいえ真実に基づき正義を徹底的に貫く!
時に熱くなり徹底的に反駁批判する。
口汚くなっても下品になっても仕方ないときもある。
主イエスだってヘロデをキツネと呼び、ウンチとは言わなかったかも知らんがカワヤや便所ぐらいのことは言った
(マルコ7章19節につき「新共同訳、口語訳が『外』へ出されるなどの訳語を与えているのは、婉曲すぎて不適。」佐藤研ほか訳『新約聖書』岩波書店2004年)。
下品か上品かではなく、下品でも品があればよい、
という趣旨のことを、先頃帰天された鈴木邦男氏の記事を毎日新聞の日曜版に書いた松尾貴史さんが、以前ラジオで言っていた、と思う。
今日2月11日は建国記念の日でありルルドの日だ。日本にだって「ベルナデッタ」とその相棒はいるだろうし、欧米にだって「明治天皇」とその相棒がいるだろう。
汚い!と言われれば、すかさず北がなければ日本三角!と叫びたい。
東西南北上下左右先後云々を問わず、言論のテッポウ玉が無鉄砲に飛び交う自由な空間と時間を確保しつつ、それに疲れたらサバティカルに入れる、そんな国にぼくは住みたい。
佐藤研師は確か愛宮真備師の本を翻訳されていた。
愛宮真備師はリーゼンフーバー師に禅を教えた。リーゼンフーバー師は、ぼくに禅を教えてくれた二人目か三人目の師匠だ。
赤ん坊の頃、股関節脱臼をやったのでうまく座れず、ぼくの禅はヘボ禅だが、しばらく通った地元禅寺の近所で今日、と言っても日付が変わってしまったので昨日、一人の老人が行方不明になったが数時間後、無事発見された。
そう言えば、その地元禅寺に昔、隠れキリシタンがいたことを最近知った。
「人間を探す神」
例の立派なお髭のユダヤ教の老神学者の本のタイトルだったと思う。
2月10日コメントを書いて2月10日の詩編32を読んだ。
まさにこれだ。
世に反発反論しては迷うだけ。
御前に立ち帰らなくては。