詩編 41
1 指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
2 いかに幸いなことでしょう
弱いものに思いやりのある人は。
災いのふりかかるとき
主はその人を逃れさせてくださいます。
3 主よ、その人を守って命を得させ
この地で幸せにしてください。
貪欲な敵に引き渡さないでください。
4 主よ、その人が病の床にあるとき、支え
力を失って伏すとき、立ち直らせてください。
5 わたしは申します。
「主よ、憐れんでください。
あなたに罪を犯したわたしを癒してください。」
6 敵はわたしを苦しめようとして言います。
「早く死んでその名も消えうせるがよい。」
7 見舞いに来れば、むなしいことを言いますが
心に悪意を満たし、外に出ればそれを口にします。
8 わたしを憎む者は皆、集まってささやき
わたしに災いを謀っています。
9 「呪いに取りつかれて床に就いた。
二度と起き上がれまい。」
10 わたしの信頼していた仲間
わたしのパンを食べる者が
威張ってわたしを足げにします。
11 主よ、どうかわたしを憐れみ
再びわたしを起き上がらせてください。
そうしてくだされば
彼らを見返すことができます。
12 そしてわたしは知るでしょう
わたしはあなたの御旨にかなうのだと
敵がわたしに対して勝ち誇ることはないと。
13 どうか、無垢なわたしを支え
とこしえに、御前に立たせてください。
14 主をたたえよ、イスラエルの神を
世々とこしえに。
アーメン、アーメン。
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とはいえ真実に基づき正義を徹底的に貫く!
時に熱くなり徹底的に反駁批判する。
口汚くなっても下品になっても仕方ないときもある。
主イエスだってヘロデをキツネと呼び、ウンチとは言わなかったかも知らんがカワヤや便所ぐらいのことは言った
(マルコ7章19節につき「新共同訳、口語訳が『外』へ出されるなどの訳語を与えているのは、婉曲すぎて不適。」佐藤研ほか訳『新約聖書』岩波書店2004年)。
下品か上品かではなく、下品でも品があればよい、
という趣旨のことを、先頃帰天された鈴木邦男氏の記事を毎日新聞の日曜版に書いた松尾貴史さんが、以前ラジオで言っていた、と思う。
今日2月11日は建国記念の日でありルルドの日だ。日本にだって「ベルナデッタ」とその相棒はいるだろうし、欧米にだって「明治天皇」とその相棒がいるだろう。
汚い!と言われれば、すかさず北がなければ日本三角!と叫びたい。
東西南北上下左右先後云々を問わず、言論のテッポウ玉が無鉄砲に飛び交う自由な空間と時間を確保しつつ、それに疲れたらサバティカルに入れる、そんな国にぼくは住みたい。
佐藤研師は確か愛宮真備師の本を翻訳されていた。
愛宮真備師はリーゼンフーバー師に禅を教えた。リーゼンフーバー師は、ぼくに禅を教えてくれた二人目か三人目の師匠だ。
赤ん坊の頃、股関節脱臼をやったのでうまく座れず、ぼくの禅はヘボ禅だが、しばらく通った地元禅寺の近所で今日、と言っても日付が変わってしまったので昨日、一人の老人が行方不明になったが数時間後、無事発見された。
そう言えば、その地元禅寺に昔、隠れキリシタンがいたことを最近知った。
「人間を探す神」
例の立派なお髭のユダヤ教の老神学者の本のタイトルだったと思う。
2月10日コメントを書いて2月10日の詩編32を読んだ。
まさにこれだ。
世に反発反論しては迷うだけ。
御前に立ち帰らなくては。