詩編 29
1 賛歌。ダビデの詩。
神の子らよ、主に帰せよ
栄光と力を主に帰せよ
2 御名の栄光を主に帰せよ。
聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。
3 主の御声は水の上に響く。
栄光の神の雷鳴はとどろく。
主は大水の上にいます。
4 主の御声は力をもって響き
主の御声は輝きをもって響く。
5 主の御声は杉の木を砕き
主はレバノンの杉の木を砕き
6 レバノンを子牛のように
シルヨンを野牛の子のように躍らせる。
7 主の御声は炎を裂いて走らせる。
8 主の御声は荒れ野をもだえさせ
主はカデシュの荒れ野をもだえさせる。
9 主の御声は雌鹿をもだえさせ
月満ちぬうちに子を産ませる。
神殿のものみなは唱える
「栄光あれ」と。
10 主は洪水の上に御座をおく。
とこしえの王として、主は御座をおく。
11 どうか主が民に力をお与えになるように。
主が民を祝福して平和をお与えになるように。
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とはいえ真実に基づき正義を徹底的に貫く!
時に熱くなり徹底的に反駁批判する。
口汚くなっても下品になっても仕方ないときもある。
主イエスだってヘロデをキツネと呼び、ウンチとは言わなかったかも知らんがカワヤや便所ぐらいのことは言った
(マルコ7章19節につき「新共同訳、口語訳が『外』へ出されるなどの訳語を与えているのは、婉曲すぎて不適。」佐藤研ほか訳『新約聖書』岩波書店2004年)。
下品か上品かではなく、下品でも品があればよい、
という趣旨のことを、先頃帰天された鈴木邦男氏の記事を毎日新聞の日曜版に書いた松尾貴史さんが、以前ラジオで言っていた、と思う。
今日2月11日は建国記念の日でありルルドの日だ。日本にだって「ベルナデッタ」とその相棒はいるだろうし、欧米にだって「明治天皇」とその相棒がいるだろう。
汚い!と言われれば、すかさず北がなければ日本三角!と叫びたい。
東西南北上下左右先後云々を問わず、言論のテッポウ玉が無鉄砲に飛び交う自由な空間と時間を確保しつつ、それに疲れたらサバティカルに入れる、そんな国にぼくは住みたい。
佐藤研師は確か愛宮真備師の本を翻訳されていた。
愛宮真備師はリーゼンフーバー師に禅を教えた。リーゼンフーバー師は、ぼくに禅を教えてくれた二人目か三人目の師匠だ。
赤ん坊の頃、股関節脱臼をやったのでうまく座れず、ぼくの禅はヘボ禅だが、しばらく通った地元禅寺の近所で今日、と言っても日付が変わってしまったので昨日、一人の老人が行方不明になったが数時間後、無事発見された。
そう言えば、その地元禅寺に昔、隠れキリシタンがいたことを最近知った。
「人間を探す神」
例の立派なお髭のユダヤ教の老神学者の本のタイトルだったと思う。
2月10日コメントを書いて2月10日の詩編32を読んだ。
まさにこれだ。
世に反発反論しては迷うだけ。
御前に立ち帰らなくては。