詩編 26
1 ダビデの詩。
主よ、あなたの裁きを望みます。
わたしは完全な道を歩いてきました。
主に信頼して、よろめいたことはありません。
2 主よ、わたしを調べ、試み
はらわたと心を火をもって試してください。
3 あなたの慈しみはわたしの目の前にあり
あなたのまことに従って歩き続けています。
4 偽る者と共に座らず
欺く者の仲間に入らず
5 悪事を謀る者の集いを憎み
主に逆らう者と共に座ることをしません。
6 主よ、わたしは手を洗って潔白を示し
あなたの祭壇を廻り
7 感謝の歌声を響かせ
驚くべき御業をことごとく語り伝えます。
8 主よ、あなたのいます家
あなたの栄光の宿るところをわたしは慕います。
9 わたしの魂を罪ある者の魂と共に
わたしの命を流血を犯す者の命と共に
取り上げないでください。
10 彼らの手は汚れた行いに馴れ
その右の手には奪った物が満ちています。
11 わたしは完全な道を歩きます。
わたしを憐れみ、贖ってください。
12 わたしの足はまっすぐな道に立っています。
聖歌隊と共にわたしは主をたたえます。
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とはいえ真実に基づき正義を徹底的に貫く!
時に熱くなり徹底的に反駁批判する。
口汚くなっても下品になっても仕方ないときもある。
主イエスだってヘロデをキツネと呼び、ウンチとは言わなかったかも知らんがカワヤや便所ぐらいのことは言った
(マルコ7章19節につき「新共同訳、口語訳が『外』へ出されるなどの訳語を与えているのは、婉曲すぎて不適。」佐藤研ほか訳『新約聖書』岩波書店2004年)。
下品か上品かではなく、下品でも品があればよい、
という趣旨のことを、先頃帰天された鈴木邦男氏の記事を毎日新聞の日曜版に書いた松尾貴史さんが、以前ラジオで言っていた、と思う。
今日2月11日は建国記念の日でありルルドの日だ。日本にだって「ベルナデッタ」とその相棒はいるだろうし、欧米にだって「明治天皇」とその相棒がいるだろう。
汚い!と言われれば、すかさず北がなければ日本三角!と叫びたい。
東西南北上下左右先後云々を問わず、言論のテッポウ玉が無鉄砲に飛び交う自由な空間と時間を確保しつつ、それに疲れたらサバティカルに入れる、そんな国にぼくは住みたい。
佐藤研師は確か愛宮真備師の本を翻訳されていた。
愛宮真備師はリーゼンフーバー師に禅を教えた。リーゼンフーバー師は、ぼくに禅を教えてくれた二人目か三人目の師匠だ。
赤ん坊の頃、股関節脱臼をやったのでうまく座れず、ぼくの禅はヘボ禅だが、しばらく通った地元禅寺の近所で今日、と言っても日付が変わってしまったので昨日、一人の老人が行方不明になったが数時間後、無事発見された。
そう言えば、その地元禅寺に昔、隠れキリシタンがいたことを最近知った。
「人間を探す神」
例の立派なお髭のユダヤ教の老神学者の本のタイトルだったと思う。
2月10日コメントを書いて2月10日の詩編32を読んだ。
まさにこれだ。
世に反発反論しては迷うだけ。
御前に立ち帰らなくては。