詩編 144
1 【ダビデの詩。】
主をたたえよ、わたしの岩を
わたしの手に闘うすべを
指に戦するすべを教えてくださる方を
2 わたしの支え、わたしの砦、砦の塔
わたしの逃れ場、わたしの盾、避けどころ
諸国の民をわたしに服従させてくださる方を。
3 主よ、人間とは何ものなのでしょう
あなたがこれに親しまれるとは。
人の子とは何ものなのでしょう
あなたが思いやってくださるとは。
4 人間は息にも似たもの
彼の日々は消え去る影。
5 主よ、天を傾けて降り
山々に触れ、これに煙を上げさせてください。
6 飛び交う稲妻
うなりを上げる矢を放ってください。
7 高い天から御手を遣わしてわたしを解き放ち
大水から、異邦人の手から助け出してください。
8 彼らの口はむなしいことを語り
彼らの右の手は欺きを行う右の手です。
9 神よ、あなたに向かって新しい歌をうたい
十弦の琴をもってほめ歌をうたいます。
10 あなたは王たちを救い
僕ダビデを災いの剣から解き放ってくださいます。
11 わたしを解き放ち
異邦人の手から助け出してください。
彼らの口はむなしいことを語り
彼らの右の手は欺きを行う右の手です。
12 わたしたちの息子は皆
幼いときから大事に育てられた苗木。
娘は皆、宮殿の飾りにも似た
色とりどりの彫り物。
13 わたしたちの倉は
さまざまな穀物で満たされている。
羊の群れは野に、幾千幾万を数え
14 牛はすべて、肥えている。
わたしたちの都の広場には
破れも捕囚も叫び声もない。
15 いかに幸いなことか、このような民は。
いかに幸いなことか
主を神といただく民は。
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とはいえ真実に基づき正義を徹底的に貫く!
時に熱くなり徹底的に反駁批判する。
口汚くなっても下品になっても仕方ないときもある。
主イエスだってヘロデをキツネと呼び、ウンチとは言わなかったかも知らんがカワヤや便所ぐらいのことは言った
(マルコ7章19節につき「新共同訳、口語訳が『外』へ出されるなどの訳語を与えているのは、婉曲すぎて不適。」佐藤研ほか訳『新約聖書』岩波書店2004年)。
下品か上品かではなく、下品でも品があればよい、
という趣旨のことを、先頃帰天された鈴木邦男氏の記事を毎日新聞の日曜版に書いた松尾貴史さんが、以前ラジオで言っていた、と思う。
今日2月11日は建国記念の日でありルルドの日だ。日本にだって「ベルナデッタ」とその相棒はいるだろうし、欧米にだって「明治天皇」とその相棒がいるだろう。
汚い!と言われれば、すかさず北がなければ日本三角!と叫びたい。
東西南北上下左右先後云々を問わず、言論のテッポウ玉が無鉄砲に飛び交う自由な空間と時間を確保しつつ、それに疲れたらサバティカルに入れる、そんな国にぼくは住みたい。
佐藤研師は確か愛宮真備師の本を翻訳されていた。
愛宮真備師はリーゼンフーバー師に禅を教えた。リーゼンフーバー師は、ぼくに禅を教えてくれた二人目か三人目の師匠だ。
赤ん坊の頃、股関節脱臼をやったのでうまく座れず、ぼくの禅はヘボ禅だが、しばらく通った地元禅寺の近所で今日、と言っても日付が変わってしまったので昨日、一人の老人が行方不明になったが数時間後、無事発見された。
そう言えば、その地元禅寺に昔、隠れキリシタンがいたことを最近知った。
「人間を探す神」
例の立派なお髭のユダヤ教の老神学者の本のタイトルだったと思う。
2月10日コメントを書いて2月10日の詩編32を読んだ。
まさにこれだ。
世に反発反論しては迷うだけ。
御前に立ち帰らなくては。