詩編 141
1 【賛歌。ダビデの詩。】
主よ、わたしはあなたを呼びます。
速やかにわたしに向かい
あなたを呼ぶ声に耳を傾けてください。
2 わたしの祈りを御前に立ち昇る香りとし
高く上げた手を
夕べの供え物としてお受けください。
3 主よ、わたしの口に見張りを置き
唇の戸を守ってください。
4 わたしの心が悪に傾くのを許さないでください。
悪を行う者らと共にあなたに逆らって
悪事を重ねることのありませんように。
彼らの与える好餌にいざなわれませんように。
5 主に従う人がわたしを打ち
慈しみをもって戒めてくれますように。
わたしは油で頭を整えることもしません
彼らの悪のゆえに祈りをささげている間は。
6 彼らの支配者がことごとく
岩の傍らに投げ落とされますように。
彼らはわたしの言葉を聞いて喜んだのです。
7 「あたかも地を裂き、地を割ったかのように
わたしたちの骨は陰府の口に散らされている。」
8 主よ、わたしの神よ、わたしの目をあなたに向け
あなたを避けどころとします。
わたしの魂をうつろにしないでください。
9 どうか、わたしをお守りください。
わたしに対して仕掛けられた罠に
悪を行う者が掘った落とし穴に陥りませんように。
10 主に逆らう者が皆、主の網にかかり
わたしは免れることができますように。
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とはいえ真実に基づき正義を徹底的に貫く!
時に熱くなり徹底的に反駁批判する。
口汚くなっても下品になっても仕方ないときもある。
主イエスだってヘロデをキツネと呼び、ウンチとは言わなかったかも知らんがカワヤや便所ぐらいのことは言った
(マルコ7章19節につき「新共同訳、口語訳が『外』へ出されるなどの訳語を与えているのは、婉曲すぎて不適。」佐藤研ほか訳『新約聖書』岩波書店2004年)。
下品か上品かではなく、下品でも品があればよい、
という趣旨のことを、先頃帰天された鈴木邦男氏の記事を毎日新聞の日曜版に書いた松尾貴史さんが、以前ラジオで言っていた、と思う。
今日2月11日は建国記念の日でありルルドの日だ。日本にだって「ベルナデッタ」とその相棒はいるだろうし、欧米にだって「明治天皇」とその相棒がいるだろう。
汚い!と言われれば、すかさず北がなければ日本三角!と叫びたい。
東西南北上下左右先後云々を問わず、言論のテッポウ玉が無鉄砲に飛び交う自由な空間と時間を確保しつつ、それに疲れたらサバティカルに入れる、そんな国にぼくは住みたい。
佐藤研師は確か愛宮真備師の本を翻訳されていた。
愛宮真備師はリーゼンフーバー師に禅を教えた。リーゼンフーバー師は、ぼくに禅を教えてくれた二人目か三人目の師匠だ。
赤ん坊の頃、股関節脱臼をやったのでうまく座れず、ぼくの禅はヘボ禅だが、しばらく通った地元禅寺の近所で今日、と言っても日付が変わってしまったので昨日、一人の老人が行方不明になったが数時間後、無事発見された。
そう言えば、その地元禅寺に昔、隠れキリシタンがいたことを最近知った。
「人間を探す神」
例の立派なお髭のユダヤ教の老神学者の本のタイトルだったと思う。
2月10日コメントを書いて2月10日の詩編32を読んだ。
まさにこれだ。
世に反発反論しては迷うだけ。
御前に立ち帰らなくては。