詩編 115
1 わたしたちではなく、主よ
わたしたちではなく
あなたの御名こそ、栄え輝きますように
あなたの慈しみとまことによって。
2 なぜ国々は言うのか
「彼らの神はどこにいる」と。
3 わたしたちの神は天にいまし
御旨のままにすべてを行われる。
4 国々の偶像は金銀にすぎず
人間の手が造ったもの。
5 口があっても話せず
目があっても見えない。
6 耳があっても聞こえず
鼻があってもかぐことができない。
7 手があってもつかめず
足があっても歩けず
喉があっても声を出せない。
8 偶像を造り、それに依り頼む者は
皆、偶像と同じようになる。
9 イスラエルよ、主に依り頼め。
主は助け、主は盾。
10 アロンの家よ、主に依り頼め。
主は助け、主は盾。
11 主を畏れる人よ、主に依り頼め。
主は助け、主は盾。
12 主よ、わたしたちを御心に留め
祝福してください。
イスラエルの家を祝福し
アロンの家を祝福してください。
13 主を畏れる人を祝福し
大きな人も小さな人も祝福してください。
14 主があなたたちの数を増してくださるように
あなたたちの数を、そして子らの数を。
15 天地の造り主、主が
あなたたちを祝福してくださるように。
16 天は主のもの、地は人への賜物。
17 主を賛美するのは死者ではない
沈黙の国へ去った人々ではない。
18 わたしたちこそ、主をたたえよう
今も、そしてとこしえに。
ハレルヤ。
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とはいえ真実に基づき正義を徹底的に貫く!
時に熱くなり徹底的に反駁批判する。
口汚くなっても下品になっても仕方ないときもある。
主イエスだってヘロデをキツネと呼び、ウンチとは言わなかったかも知らんがカワヤや便所ぐらいのことは言った
(マルコ7章19節につき「新共同訳、口語訳が『外』へ出されるなどの訳語を与えているのは、婉曲すぎて不適。」佐藤研ほか訳『新約聖書』岩波書店2004年)。
下品か上品かではなく、下品でも品があればよい、
という趣旨のことを、先頃帰天された鈴木邦男氏の記事を毎日新聞の日曜版に書いた松尾貴史さんが、以前ラジオで言っていた、と思う。
今日2月11日は建国記念の日でありルルドの日だ。日本にだって「ベルナデッタ」とその相棒はいるだろうし、欧米にだって「明治天皇」とその相棒がいるだろう。
汚い!と言われれば、すかさず北がなければ日本三角!と叫びたい。
東西南北上下左右先後云々を問わず、言論のテッポウ玉が無鉄砲に飛び交う自由な空間と時間を確保しつつ、それに疲れたらサバティカルに入れる、そんな国にぼくは住みたい。
佐藤研師は確か愛宮真備師の本を翻訳されていた。
愛宮真備師はリーゼンフーバー師に禅を教えた。リーゼンフーバー師は、ぼくに禅を教えてくれた二人目か三人目の師匠だ。
赤ん坊の頃、股関節脱臼をやったのでうまく座れず、ぼくの禅はヘボ禅だが、しばらく通った地元禅寺の近所で今日、と言っても日付が変わってしまったので昨日、一人の老人が行方不明になったが数時間後、無事発見された。
そう言えば、その地元禅寺に昔、隠れキリシタンがいたことを最近知った。
「人間を探す神」
例の立派なお髭のユダヤ教の老神学者の本のタイトルだったと思う。
2月10日コメントを書いて2月10日の詩編32を読んだ。
まさにこれだ。
世に反発反論しては迷うだけ。
御前に立ち帰らなくては。