待降節第一主日B年(11/29)
目を覚ましていなさい
集会祈願
希望に光を注いでくださる神よ、待降節の歩みを始めるわたしたちの心の目を開いてください。日々の生活の中で、あなたが望んでおられることを見極め、主キリストに従って生きることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
🌸 第一朗読 (イザヤ63・16b-17、19b、64・2b-7)
イザヤの預言
主よ、あなたはわたしたちの父です。
「わたしたちの贖い主」これは永遠の昔からあなたの御名です。
17なにゆえ主よ、あなたはわたしたちをあなたの道から迷い出させ
わたしたちの心をかたくなにして
あなたを畏れないようにされるのですか。
立ち帰ってください、あなたの僕たちのために
あなたの嗣業である部族のために。
19bどうか、天を裂いて降ってください。
64・2b御前に山々が揺れ動くように。
あなたが降られれば
あなたの御前に山々は揺れ動く。
3あなたを待つ者に計らってくださる方は、
神よ、あなたのほかにはありません。
昔から、ほかに聞いた者も耳にした者も
目に見た者もありません。
4喜んで正しいことを行いあなたの道に従って、
あなたを心に留める者を
あなたは迎えてくださいます。
あなたは憤られました、
わたしたちが罪を犯したからです。
しかし、あなたの御業によって
わたしたちはとこしえに救われます。
5わたしたちは皆、汚れた者となり
正しい業もすべて汚れた着物のようになった。
わたしたちは皆、枯れ葉のようになり、
わたしたちの悪は風のように
わたしたちを運び去った。
6あなたの御名を呼ぶ者はなくなり、
奮い立ってあなたにすがろうとする者もない。
あなたはわたしたちから御顔を隠し
わたしたちの悪のゆえに、力を奪われた。
7しかし、主よ、あなたは我らの父。
わたしたちは粘土、あなたは陶工、
わたしたちは皆、あなたの御手の業。
🌸 答唱詩編 詩編80 典80 ①⑤⑥
答 神よ、わたしに目を注ぎ、
強めてください、手をさしのべて。
イスラエルを牧するかたよ、耳を傾けてください。
ヨセフを羊の群れのように導くかた、
光を放ってください。
ゲルビムの上に座しておられるかた。 【答】
すべてを治める神よ、あなたの目を注いで、
またこのぶどうの木を顧みて下さい。
あなたがご自分で植えられた苗と、
強められた若枝を守ってください。 【答】
あなたの手はあなたの右腕である人の上に、
強められた民の上に。
わたしたちはあなたから離れることなく、
いのちであるあなたを呼び求める。 【答】
🌸 第二朗読 (一コリント1.3-9)
使徒パウロのコリントの教会への手紙
3〔みなさん、〕わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。4わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。 5あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。 6こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、 7その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。 8主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。 9神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。
アレルヤ唱 典255(第一主日)
アレルヤ、アレルヤ。主よ、あなたのいつくしみを示し、救いをお与えください。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (マルコ13.33-37)
マルコによる福音
33〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。 34それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。 35だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。 36主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。 37あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
奉納祈願
恵み深い神よ、救いの訪れを待ち望みながら祈ります。ひとり子を与えて下さるあなたの愛を深く味わうことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
拝領祈願
神よ、命の糧に満たされたわたしたちを遣わしてください。あなたが与えてくださる希望と喜びを、日々出会う人に伝えることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 分かち合い
いよいよ今日から待降節に入ります。待降節と言えば、当然のことのようにクリスマスのことを考えます。町でもすでに、クリスマスの飾り付けがありますし、幼稚園の子どもたちは、聖劇の練習に磨きをかけています。
待降節は、英語ではアドベントと言いますが、日本語では、いつからか待降節、つまり、降誕を待つ季節という字があてられています。待つのは、クリスマス=キリストの誕生であることは、日本人の多くは知っています。それは、すでに2000年ほど前にあった出来事の記念です。しかし、そのことで、待つのは、すでにあった出来事、だれもがよく知っているあの出来事だと思いがちです。だから、みんな安心して、その日を祝うことができるのです。いわば、クリスマスは人間の手の中に、人間のコントロールのもとにあるように思いがちです。
しかし、アドベントには、もう一つの意味が含まれています。まだ、来ていない、だれも、それがいつのことか、どのようなものか知らない、人間の手の内にない、操作することのできない未来のこと、世の終わり、キリストの再臨、そして、わたしたち一人一人の人生の終わりを待つ意味も含まれているのです。
今日のマルコの福音は、そのような意味で、非常に大事なメッセージを含んでいます。「目を覚ましていなさい」という言葉が繰り返されました。それは、今日の個所に先立つ、世の終わり、終末についての長い話の結びとして語られた言葉です。そして、「その時がいつなのか、あなたがたにはわからないからである」とも言われました。「目を覚ましていなさい」。それは、延期されたオリンピックのように、人間が前もって予定を立てて、それに向けて抜かりなく準備を進めるような、そんな「待つ」ではありません。それがいつであっても、どのようなことであっても、毅然としてそれを待ち受ける心、開かれた心、何物にも縛られない心、そのような心をもって、日々生きる、そうした根本的な生きる姿勢が問われる「待つ」なのです。今日の第二朗読で読まれたコリントの教会への手紙にあったような、「わたしたちの主イエス・キリストの現われを待ち望んでいます」、という心です。これは、キリスト信者がしっかりと心に刻むべき姿勢です。そして、これは、ミサの中で、司祭が唱える、「わたしたちの希望、救い主イエズス・キリストが来られるのを持ち望んでいます」という祈りに表れていることをお気づきでしょうか。
2019年、日本の教会、教会だけでなく、善意の多くの日本人の心はフランシスコ教皇の来日の喜びに包まれていました。教皇のメッセージ、あるいは、それ以上に、教皇の一つ一つの立ち居振る舞いの中に、何かわたしたちの心をやわらげ、あたたかくするもの、希望と喜びを感じさせるものが溢れていました。
それに引き換え、次々の年は、日本全体が、否、世界全体が降ってわいたような深刻な災禍によって、打ちひしがれていました。また、今やハマスとイスラエルとの戦争やウクライナの戦争、ミャンマーの紛争などは劇的に続いています。それからエコロジーの問題や経済の問題、移民難民、人種差別や家族絆の問題などによって、多くの人々は苦しみを受けています。そんな不平・不満、そして、あきらめに近い心情が満ち溢れています。
しかし、これは、人類がはじめて経験したことではありません。今日の第一朗読で読まれたイザヤの預言では、紀元前、6世紀末期の、状況を背景とした言葉が読まれました。バビロン捕囚が終わり、ようやく祖国に帰還し、再出発を期待した人々の目の前に現れたのは、廃墟と化したエルサレムの都でした。再建のための動きは、様々な障害に遭遇し、思うように進まなかったと言われています。そうした予想とはまるで違う現実の中で、イスラエルの人々は自分たちのやりきれない思いの中で、預言者の励ましのもと、自分たちの力ではなく、すべてを計らう神に信頼を寄せ、切実な祈りを捧げます。「どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように、あなたが降られれば、あなたの御前に山々は揺れ動く。あなたを待つ者に計らってくださる方は、神よ、あなたのほかにはありません」と。
待降節の初めにあたって、こうしたへりくだった心を取り戻し、すでにお出でになって、今、わたしたちのうちに共に生きておられる主イエスに対する信仰を深め、人間の知恵ではかることのできない未来に向かって、信頼に満ちた歩みを続けることができますよう、お祈りいたしましょう。(S.T.)