集会祈願
永遠の父よ、あなたのひとり子を宿したおとめマリアは、聖霊に導かれてエリザベトを訪ねました。わたしたちも聖霊のすすめに従い、聖母とともに、いつも賛美の歌を歌うことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
🌸 第一朗読 (ゼフャニヤ3.14-18)
14娘シオンよ、喜び叫べ。
イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。
娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。
15主はお前に対する裁きを退け
お前の敵を追い払われた。
イスラエルの王なる主はお前の中におられる。
お前はもはや、災いを恐れることはない。
16その日、人々はエルサレムに向かって言う。
「シオンよ、恐れるな
力なく手を垂れるな。
17お前の主なる神はお前のただ中におられ
勇士であって勝利を与えられる。
主はお前のゆえに喜び楽しみ
愛によってお前を新たにし
お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」
18わたしは
祭りを祝えず苦しめられていた者を集める。
彼らはお前から遠く離れ
お前の重い恥となっていた。
(またはローマ12.9-16)
9〔皆さん、〕愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 10兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 11怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。 12希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。 13聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。 14あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 15喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。 16互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。
🌸 答唱詩編 詩編 典164 ①③
答 喜びに心をはずませ、救いの泉から水をくむ。
神はわたしの救い、わたしは信頼して恐れない。
神はわたしの力、わたしの歌、
わたしの救い。 【答】
神は不思議なわざを成しとげられた。
神をほめ歌い、
そのわざを世界にのべ伝えよう。 【答】
アレルヤ唱 典276 聖マリアの訪問
アレルヤ、アレルヤ。おとめマリア、信じたあなたは幸い。神からあなたに言われたことは成就される。アレルヤ、アレルヤ。
🌸 福音朗読 (ルカ1.39-56)
ルカによる福音
39そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。 40そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 41マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、 42声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。 43わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。 44あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。 45主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
46そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
47わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
48身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう、
49力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、
50その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
51主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、
52権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
53飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
54その僕イスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません、
55わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
56マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。
奉納祈願
いつくしみ深い父よ、あなは、聖母マリアのエリザベト訪問を祝福されました。わたしたちのささげものを祝福し、救いをもたらすものとしてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
拝領祈願
聖なる父よ、あなたは、信じる者に偉大なわざを行われます。救い主の母の訪問を受け、エリザベトは喜びに満たされました。秘跡を通して主を迎えたわたしたちも、喜びにあふれてあなたの偉大なわざをたたえることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
🌸 分かち合い
私が誓願を立てたのは16周年を迎えるようになりました。2004年に私とほかの12人の仲間が入会しました。修練期の間に4人が会をやめて、一緒に誓願を立てたのは9人になりました。今残っているのは7人で、皆は司祭になりました。私が大好きなみ言葉は天使ガブリエルが聖マリアに言った言葉です。「神にできないことは何一つない」(ルカ1:37)。このみ言葉はエリザベトと聖マリアによって、実現されました。
さて、エリサベトはマリアの親類で、高齢になっていたにもかかわらず、洗礼者ヨハネを身ごもりました。人間的には不可能と思われることですが、だからこそ、そこに神の力が働いている、ということになります。洗礼者ヨハネの誕生という出来事には神の力が働いているのです。
聖マリアの場合は処女であり、人間であるのに、神の母となるということは人間的にはまったくありえないことです。もしそれがありうるとしたら、完全に神の力以外の何ものでもないということになります。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」(1章35節)からこそ、この処女マリアからイエスが生まれることになったのです。
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(45節)は、ルカ11章27,28節の次の言葉を思い出させます。「イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。『なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。』しかし、イエスは言われた。『むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である』」 マリアはただ単にイエスの母だから素晴らしいのではなく、むしろ神の言葉や神の約束を信じた信仰のゆえに幸いなのです。
聖マリアがエリサベトを訪問した目的は、神の約束の実現を一緒に待つためではないでしょうか。自分たちのうちに神の約束が成就しつつあるのを感じ取り、その喜びを分かち合うため聖マリアはエリサベトを訪ねたのではないでしょうか。この2人の出会いの中に、「教会」の根本的なイメージを感じ取ることができると思います。「いろいろ問題や悲惨なこともあるけれど、それでも神の約束は確かにわたしたちの中で実現に向かっているよね」ということを分かち合い、その喜びを確かめ合うのが、教会という信仰者の集いの根本的な意味だと言えるのではないでしょうか。