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聖ボニファチオ司教殉教者
集会祈願
すべての人の救いを望まれる神よ,司教聖ボ二ファチオは福音をのべ伝え、キリストのためにいのちをささげて信仰のあかしとなりました。わたしたちが、聖人の祈りに支えられて信仰を固く保ち、行いにあらわすことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
???? 第一朗読 (2テモテ3:10-17)
使徒パウロのテモテへの手紙
〔愛する者よ、〕10あなたは、わたしの教え、行動、意図、信仰、寛容、愛、忍耐に倣い、 11アンティオキア、イコニオン、リストラでわたしにふりかかったような迫害と苦難をもいといませんでした。そのような迫害にわたしは耐えました。そして、主がそのすべてからわたしを救い出してくださったのです。 12キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。 13悪人や詐欺師は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなっていきます。 14だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、 15また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。 16聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。 17こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。
???? 答唱詩編 詩編119 典125①④
答:主よ、あなたは永遠のいのちのことば。
神よ、あなたはわたしたちのすべて。
あなたのことばをわたしは守る。
あなたの教えはすばらしい。
すべての金銀にまさる。 【答】
あなたのことばは真理に基づく。
正しいさばきはとこしえに変わることがない。
すばらしい宝を見つけた人のように、
わたしはあなたの仰せを喜ぶ。 【答】
アレルヤ唱
アレルヤ、アレルヤ。わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のもとに行く。アレルヤ、アレルヤ。
???? 福音朗読 (マルコ12:35-37)
マルコによる福音
35イエスは神殿の境内で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。 36ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。
『主は、わたしの主にお告げになった。
「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を
あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』
37このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた。
奉納祈願
いつくしみ深い父よ、この供えものを祝福し、聖ボニファチオがいのちをかけてあかしした信仰のうちに、私たちを強めてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
拝領祈願
父である神よ、あなたは殉教者のうちに、十字架の神秘してくださいました。主の過越にあずかったわたしたちがキリストに従い、すべての人の救いのために尽くすことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
???? 分かち合い
「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか」とイエスの方から、人々(律法学者)に問いかける。たしかに、イスラエルの歴史の中で、来るべきメシアはダビデ王の子孫から出る、という考えが強くなっていった。そして、イエスがひょっとしてメシアではないか、と人々が考え始めたとき、学者たちは、イエスが果たしてその基準に当てはまるかにこだわった。イエスがメシアなら、あんな辺鄙な田舎、ガリラヤやナザレからではなく、ダビデの村ベトレヘムから出るはずだ、と。
イエスは、自ら「ダビデの子孫」だと言われたことはない。ダビデには、イエスラエルを繁栄に導いた王、戦いに強い戦士、というイメージがあるからだろうか。しかし、人々の中には、イエスをメシアと認め、イエスに「ダビデの子」と呼びかけたことがあった。「ダビデの子」という呼称をほとんど使わないマルコも、受難の前の最後の奇跡において、盲人バルティマイに「ダビデの子よ、あわれんででください」(マルコ10.47)と叫ばせている。
初代教会も、イエスがダビデの子孫であることを全否定しない。むしろ、それを強調するかのように、マタイもルカも、イエスの誕生の地を、ダビデの町ベトレヘムとしている。しかし、イエスがダビデの子孫以上のものであることを決して忘れない。パウロは「ローマの教会への手紙」の冒頭で、イエスについて「肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって神の子と定められた」と記している。マタイはイエスの系図をアブラハムから始め、ルカはアダムから始めている。すべての人に救いをもたらされたイエスを、イスラエルの世界から始まって、全世界を力ではなく、愛をもって治める平和の君、主として認め、讃える教会の信仰をあらためて確認しよう。