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教皇の意向:子を失った親 (11月)

復活節第五月曜日(5/16)

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わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る

ヨハネ14:23
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録14:5-18)

使徒たちの宣教

 〔その日、イコニオンで、〕5異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき、 6二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。 7そして、そこでも福音を告げ知らせていた。
 8リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。 9この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、 10「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と大声で言った。すると、その人は躍り上がって歩きだした。 11群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言った。 12そして、バルナバを「ゼウス」と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを「ヘルメス」と呼んだ。 13町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、家の門の所まで雄牛数頭と花輪を運んで来て、群衆と一緒になって二人にいけにえを献げようとした。 14使徒たち、すなわちバルナバとパウロはこのことを聞くと、服を裂いて群衆の中へ飛び込んで行き、叫んで 15言った。「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。 16神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。 17しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」 18こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた。

🌸 答唱詩編 詩編 典

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (ヨハネ14:21-26)

ヨハネによる福音

 〔その時、イエスは弟子たちに言われた。〕21わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」 22イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。 23イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。 24わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
 25わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。 26しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」(ヨハネ14:22)。

 イエスはなぜ御自分に最も近しい弟子たちを重視して多くの時間を費やされたのでしょうか。イエスにとって御自身を大々的に「世に」現された方がもっと効率的ではなかったでしょうか(ヨハネ14:22)。イエスは政治指導者や宗教指導者たちを招集し、宇宙規模の壮観な炎の内に御自身が復活するのを目撃させることもおできになりました。これには疑う余地がありません。ひょっとしたら、イエスは壮大な光景の中で瞬時にすべての人に手を差し伸べる機会を逃されたのではないでしょうか。

 イエスが私たち一人一人を愛しておられ、すべての人がイエスを知るよう望んでおられることは疑いもありません。でも、地上を歩まれた時のように、イエスは個人という小さな規模で御自身を現す方法を選ばれました。壮大な一度きりの表示行為ではイエスが望んでおられることを達成することができません。ただ日々の数多くの小さな行いがイエスを知らせることができるのです。

 それについて考えてみてください。神が自分では何もできない赤ちゃんとして来られたとき、神は私たちの一人として、私たちと一つになりたいと望まれました。強力で勇敢な主として人類を威圧するよりも、むしろマリアとヨセフ、そしてナザレの仲間たちとの関係を築くために静かに何年も費やされたのです。その後、弟子たちを呼ばれ、同じことをなさいました。弟子たちとの関係を築かれ、この関係は神が彼らを愛されたように愛することを教え、彼らを神の慈しみの生きた模範へと変えたのです。

 イエスは今日でも同じ戦略を使っておられます。イエスは関わりを通してご自身を「世に」現しておられます。私たちの周囲の人々との関係です。私たちが他の人に手を差し伸べるたびに、イエスは私たちを通して手を差し出しておられます。他の人に励ましや理解の言葉を表すたびに、イエスは私たちを通して語っておられます。私たちの日々の単純な愛の行動の中でこそ、イエスは最も明るく光り輝くことがおできになるのです。

 言うまでもなく、私たちは自分が完全ではないことを知っています。イエスが望まれるように常に行動していないことを知っています。しかし、イエスは御自分の計画の中でこの「しわ」さえ活用されます。私たちが互いに赦し合い償いをするたびに、イエスは特に力強い方法で御自身を現される選択をされました。そうです、イエスはあなたを通して御自身を世に現しておられるのです。

 「イエス様、他の人々がいっそう明瞭にあなたを見ることができるように、あなた御自身をさらに十分に私にお示しください」。

〔『毎日の黙想』、(“The Word among us”)、聖母の騎士社、2022年復活節号、5月16日。〕

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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