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教皇の意向:子を失った親 (11月)

復活節第七金曜日(6/3)

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ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか

ヨハネ21:17
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録25.13-21)

 13〔その日、〕アグリッパ王とベルニケが、フェストゥスに敬意を表するためにカイサリアに来た。 14彼らが幾日もそこに滞在していたので、フェストゥスはパウロの件を王に持ち出して言った。「ここに、フェリクスが囚人として残していった男がいます。 15わたしがエルサレムに行ったときに、祭司長たちやユダヤ人の長老たちがこの男を訴え出て、有罪の判決を下すように要求したのです。 16わたしは彼らに答えました。『被告が告発されたことについて、原告の面前で弁明する機会も与えられず、引き渡されるのはローマ人の慣習ではない』と。 17それで、彼らが連れ立って当地へ来ましたから、わたしはすぐにその翌日、裁判の席に着き、その男を出廷させるように命令しました。 18告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。 19パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。 20わたしは、これらのことの調査の方法が分からなかったので、『エルサレムへ行き、そこでこれらの件に関して裁判を受けたくはないか』と言いました。 21しかしパウロは、皇帝陛下の判決を受けるときまで、ここにとどめておいてほしいと願い出ましたので、皇帝のもとに護送するまで、彼をとどめておくように命令しました。」

🌸 答唱詩編 詩編103 典93 ④⑦

アレルヤ唱 典267 ④

🌸 福音朗読 (ヨハネ21.15-19)

ヨハネによる福音
 15〔イエスは弟子たちに御自分を現わされ、食事を共にされた。〕食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。 16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。 17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。 18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」 19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日読まれた福音個所はヨハネ福音書の最後の言葉です。復活された主イエスと出会った場面が描かれています。復活された主イエスが弟子たちに現わされ、弟子たちの代表とするペトロに愛することをお尋ねになりました。ペトロに向かって、あなたはわたしを愛しているかという同じ質問を三回もお聞きになりました。

 しかし、ペトロは、「はい、主よ、わたしはあなたを愛しています」と答えたのではありません。それの代わりに「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言いました。三度とも、そのように答えていました。

 実は、主イエスが捕まる前に、ペトロは、「わたしは主イエスを愛しています。だからたとえ死んでも主イエスに従っていきます」と(いさ)ましく言っていました。でも、主イエスが捕まえられて死の恐怖が迫って来た時には、そんな勇気はどこにあるか、こそこそと逃げ出し、結局「そんな人は知らない」と言ってしまいました。

 だからもう、「わたしはあなたを愛しています」ということが言えないのです。自分が持っている愛の思いがいかに頼りない、不確かなものかをペトロは思い知ったのです。という意味で、今、復活して下さった主イエスと出会って、「わたしを愛しているか」と問われた時、彼は、「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えることになったのです。

 しばしば私たちの気持ちはとても不確かで、ふらふらしてしまう、弱いものでしかないということがあります。そのとき、主イエスは、その弱い、罪深い私たちのことをよくご存じで、その私たちを赦して下さり、愛して下さっています。その主イエスの愛の中で、私たちはもう一度、主イエスを愛することができる、主イエスに従っていくことができるのです。私たちの力によってではなくて、私たちのことをすべてご存じである主イエスによってそれができる、ということにペトロのように気付かされる時があったでしょう。

 今日の福音書を読んでみますと、主イエスが私たちを愛してくださったことと私たちが主イエスをどのぐらい愛しているのか、そしてまた主イエスの愛によって、私たちは互いにどのぐらい愛し合うのかということを改めて見直す機会が与えられたではないかと思います。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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