集会祈願
🌸 第一朗読 (使徒言行録2.14、22-33)
14〔五旬祭の日に、〕ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。
22イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。 23このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。 24しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。 25ダビデは、イエスについてこう言っています。
『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。
主がわたしの右におられるので、
わたしは決して動揺しない。
26だから、わたしの心は楽しみ、
舌は喜びたたえる。
体も希望のうちに生きるであろう。
27あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、
あなたの聖なる者を
朽ち果てるままにしておかれない。
28あなたは、命に至る道をわたしに示し、
御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』
29兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。 30ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。 31そして、キリストの復活について前もって知り、
『彼は陰府に捨てておかれず、
その体は朽ち果てることがない』
と語りました。 32神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。 33それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。
🌸 答唱詩編 詩編16 典98④⑤
アレルヤ唱 典266 (八日間)
🌸 福音朗読 (マタイ28.8-15)
マタイによる福音
8〔そのとき、〕婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。 9すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 10イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
11婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。 12そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、 13言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。 14もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」 15兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
聖ペトロの立場になって考えてみましょう。わたしたちは数千人の前に立っていて、多くの人はわたしたちが酔っぱらっていると思っています。これは復活された主イエス・キリストを証するチャンスです。わたしたちは何を言うべきでしょうか?復活の日に、復活された主イエスが個人的にわたしたちに現れたと言いますか?(ルカ24:34) 主イエスが夕方に現れたことや、一週間後にトマスが主イエスの傷に触れたことを言いますか?(ヨハネ20:19-29)復活されたキリストが百五十三匹の魚を捕る方法を教えてくださった時や、天に昇られた時はどうでしょうか?(ヨハネ 21:4ff; マルコ 16:19) 復活された主イエスが500人の兄弟に一度に現れたのはどうでしょうか?(1コリント15:6)
驚くべきことに、ペトロはこれらの復活された主イエスの目撃証言には全く触れていません。その代わりに、ペトロは詩篇16篇について語ります(使徒2:25-28)。この詩篇はペトロの心の中で復活されたキリストの預言として燃えていました(ルカ24:32)。ペトロがこのことを話したとき、群衆に何かが起こったのです。彼らはペトロが酔っぱらっているとは思わなくなり、その日、三千人の人々が洗礼を受けることを願い出たのです(使徒2:41)。
神のみ言葉は、わたしたちに復活した人生を紹介します。わたしたちが主イエスは生きておられると深く信じる前に、み言葉が生き返らなければなりません。神のみ言葉がページから飛び出しそうになるとき、わたしたちは墓が空であり、主が生きておられることを知るのです。
「神の言葉は生きており、力を発揮し」ます(ヘブライ4:12)。またさらに、そのみ言葉は「霊と命」です(ヨハネ 6:63)。