Generic filters
Exact matches only
Filter by content type
Comments
Attachments

教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

四旬節第水曜日(3/20)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

真理はあなたたちを自由にする

ヨハネ8:32
集会祈願

🌸 第一朗読 (ダニエル3.14-20、24-25、28)

 14〔その日、ネブカドネツァル王は〕言った。
 「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、お前たちがわたしの神に仕えず、わたしの建てた金の像を拝まないというのは本当か。 15今、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえると同時にひれ伏し、わたしの建てた金の像を拝むつもりでいるなら、それでよい。もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。」
 16シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。
 「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。 17わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。 18そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
19ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。 20そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。
 24間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。
 「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」
 彼らは答えた。
 「王様、そのとおりでございます。」
 25王は言った。
 「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」
 28ネブカドネツァル王は言った。
 「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。

🌸 答唱詩編 詩編 典49①②

詠唱 典263 10

🌸 福音朗読 (ヨハネ8.31-42)

ヨハネによる福音 

 31〔その時、〕イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。 32あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 33すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」 34イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。 35奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。 36だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。 37あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。 38わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」
 39彼らが答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。 40ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。 41あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。」そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、 42イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる」
 人間だれしも自由になりたいと願い、そのために努力し、必死で生きる。子どもは子どもで、制約に縛られずにいつまでも遊んでいたいと願い、大人は大人で、もっと自由な生活ができるようにと夢中で働き、手に入れた自由を奪われまいと必死になる。しかし、はたして本当の自由とは、自分で努力して獲得するものだろうか。聖書が教える自由は、まさに、その逆のように思える。
 今日のイエスの言葉に、その教えの一端がある。イエスは言う、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と。つまり、ただ、自分の思い、自分の好み、自分の都合に従って生きることではなく、真理であるイエスの言葉に従うこと、神の言葉に自らを開き委ねること、ときに、自由に反するように思える神の意志に自らを従わせること、そこにこそ自由がある、とイエスは言われる。
 ユダヤ人は、自分たちがアブラハムの子孫だから、自由であると言う。しかし、アブラハムの子孫とは、血筋のことではなく、むしろ、アブラハムのように、神を信じて生きる人々のことだ。自分が自由であると思う時、はたして、真の自由を得ているかどうか、反省してみる必要があるのではないか。(S.T.)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

コメントする