集会祈願
🌸 第一朗読 (ダニエル9:4b-10)
ダニエルの預言
「主よ、畏るべき偉大な神よ、主を愛しその戒めに従う者には契約を守って慈しみを施される神よ、 5わたしたちは罪を犯し悪行を重ね、背き逆らって、あなたの戒めと裁きから離れ去りました。 6あなたの僕である預言者たちが、御名によってわたしたちの王、指導者、父祖、そして地の民のすべてに語ったのに、それに聞き従いませんでした。 7主よ、あなたは正しくいます。わたしたちユダの者、エルサレムの住民、すなわち、あなたに背いた罪のために全世界に散らされて、遠くにまた近くに住むイスラエルの民すべてが、今日のように恥を被っているのは当然なのです。 8主よ、恥を被るのはわたしたちであり、その王、指導者、父祖なのです。あなたに対して罪を犯したのですから。 9憐れみと赦しは主である神のもの。わたしたちは神に背きました。 10あなたの僕である預言者たちを通して与えられた、律法に従って歩むようにという主なる神の声に聞き従いませんでした。
🌸 答唱詩編 詩編130 典117①②
アレルヤ唱 典263⑫
🌸 福音朗読 (ルカ6:36-38)
ルカによる福音
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕36「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。
37人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。 38与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
先週の土曜日の福音書はマタイによる主イエスの山上の説教の最後の個所が読まれました。その内容と今日語られたルカによる福音の個所の内容はほぼ似ています。マタイによりますと、敵を愛しなさいというそれぞれの具体的に倫理的な生き方を教えてくださった後、主イエスは「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5:48)と結論しています。敵への愛を持つことができるとすれば、私たちの自然の感情を超える力に開かれていなければなりません。すなわち、私たちは愛の足りない世界に住んでいても、神はその私たちを大きな愛で完全の愛で包んでくださっているのです。
同じように、ルカの方は「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(ルカ6:36)と勧められています。それになれるために、まず人を裁くなという態度から始まります。人間ならば、人を全面的に見ることができないので、他の人間の絶対的評価を下すことは出来ないし、してはならないのです。しかし、私たちはしばしばそういうことを行っていてしまいます。
だから、人のいのちを大事にするのは非常に重要なことだと主イエスが教えてくださっています。
「人々があなた方に行うようにと望む通りに彼らに行いなさい」(ルカ6:31)。そして、「あなた方の父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(36節)。これは二本の支柱として組み立てられています。31節は人間関係をスムーズにするための大原則であり、神への信仰を前提にすることなく成り立つ指針です。一方、36節は神の憐れみ深さを体験していなければ、何の意味も持たない指針です。だからこそ、敵を愛すべきや人を裁くなということができるのは神の完全の愛、神の深い憐れみの信仰を前提にする必要があるのです。
主イエスは私たちのすべての弱さや罪などを十字架として背負い、神の憐れみ深さを目に見える形で示してくださいました。主イエスは私たちに次のようにおっしゃってくださるかもしれません。わたしを、わたしの愛を信じて受け入れる時、わたしがあなたたちの内に生きて働くのです。そして、わたしが生きた愛を生きることが出来るのです。今、わたしはあなたの心の扉をたたいています。わたしを受け入れなさい。そうすれば、あなたたちは、敵を愛し、人を裁かない、憎む者を親切にすることができるようになります。