5月31日
近代になって、五月を聖母マリアにささげられた月として、特に聖母マリアに対する「花の月」として信心する習慣が、全世界に広がっています。第二バチカン公会議後の暦は、それまで七月二日に祝われてきたエリザベットへの聖母マリアの訪問を、五月の最後の日である今日に移しました。その訪問のようすは福音書(ルカ1:39-56)の朗読で明らかにされますので、補充の説明だけをここに加えたいと思います。
なぜ、聖母マリアはエリザベットのところへ行かれたのでしょうか。エリザベットの妊娠を確かめるためではなく、神は何でもおできになるということのあかしのために、また、神からいただいた大きな恵みをいっしょに喜ぶために、さらに高齢であったエリザベットの出産を手伝うために行かれたのでした。神の母となられたマリアは、エリザベットに召し使いとして仕えることができるのを喜ばれたに違いありません。
聖母マリアの声を聞いたエリザベットは、聖霊に満たされた(ルカ1・れ)と聖書に書かれています。今日の祝日のもう一つの深い意味がそこにあります。マリアは神の恵みをもたらすお方で、エリザベットだけではなく、マリアに近づく人びとはだれでも、いつでも神の恵みを豊かにいただくことを暗示しているのです。
聖母マリアが感謝の心を歌であらわされたのは、現代人にとって少し理解しにくいことかもしれませんが、日本の歴史の中でも、感動をあらわすのに、戦の最中であっても、短歌や俳句を作った例が多いことを思い起こすと、それほどわかりにくいことでもないと思われます。また、現代でも、ナザレに近い村の娘は文盲であったにもかかわらず、感動を即座に、聖母マリアの賛歌によく似た賛美歌であらわしたという例もあります。
「マグニフィカト」という聖母マリアの賛歌は、ほとんど旧約聖書、特に詩編の引用ばかりであることに気づくでしょう。繰り返し繰り返し読んだり、唱えたり、黙想したりした聖書のことばが、その時聖母マリアの心から溢れ出たのだと思われます。しかし、それよりも、いちばん私たちを感激させるのは、聖母マリアの深い謙遜でした。
神の母となったばかりのマリアは、自分は神のはしため(ルカ1・4)にすぎないと思いました。神がこのような限りない恵みを与えられた理由は、自分の卑しさと、神の無限の哀れみだけだと思えたのです。けれども、その謙遜は、かえって聖母マリアの目を開かせました。そしていつの時代の人びとも、自分を幸いなるものとしてたたえるであろうと、確信をもって言われたのでした。そのことばの実現は、毎日繰り返されている奇跡でした。あの小さな、さげすまれた国の、田舎の若い娘の名は、今、毎日、世界中の何億人もの人びとに誉めたたえられています。多くの女性はその娘を想い起こし、賛美しながら、自分の娘をもまたマリアと名づけるのです。さらにその娘を記念するために、パリのノートルダムをはじめ、日本でももっとも有名な建築家が建てた東京の大聖堂にいたるまで、数え切れないほど多くの壮大な建物が、地球上のあらゆる場所にそびえ立っています。
また、ラジオの電波に乗って、あの田舎娘をたたえる「アヴェ・マリア」の調べが、全世界の人びとの胸深く浸み透っていくのです。実現しないはずのそのことばは、みごとに実現されたのでした。 聖母マリアの感謝の心に倣い、いつでも神に賛美の歌を歌うことができるよう祈りましょう。
C.バリョヌェボ著『ミサの前に読む聖人伝』サンパウロ、2010年。