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教皇の意向:子を失った親 (11月)

聖マルコ福音記者(4/25)

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主は彼らと共に働き、

マルコ16:20
集会祈願

🌸 第一朗読 (1ベトロ5:5b-14)

使徒ペトロの手紙

 〔愛する皆さん、〕皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、
 「神は、高慢な者を敵とし、
 謙遜な者には恵みをお与えになる」
からです。
 6だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。 7思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
 8身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。 9信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみに遭っているのです。それはあなたがたも知っているとおりです。 10しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。 11力が世々限りなく神にありますように、アーメン。
 12わたしは、忠実な兄弟と認めているシルワノによって、あなたがたにこのように短く手紙を書き、勧告をし、これこそ神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みにしっかり踏みとどまりなさい。 13共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています。 14愛の口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストと結ばれているあなたがた一同に、平和があるように。

🌸 答唱詩編 詩編89 典37②④

アレルヤ唱 典277(聖マルコ)

🌸 福音朗読 (マルコ16:15-20)

マルコによる福音

 〔その時、イエスは十一人の弟子たちに現れて、〕言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。 16信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。 17信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。 18手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
 19主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。 20一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 マルコと言う人物は、パウロの弟子、また、今日の第一朗読の「ペトロの手紙」にあったように、ペトロにも仕えた。しかし、一番よく知られているのは、マルコ福音書の著者としての面。
 マルコ福音書は、4つの福音書の中で一番先(60∼70年代)に書かれ、一番短い。福音書を勉強するとき、つい、短いから扱いやすいと考え、マルコから始めるが、大きな間違い。イエスの語られた言葉よりも、その行い・業を、時に、詳しく感動的に描き出す。マルコの一つの特徴は、「福音」という言葉をよく使うこと。「福音」という言葉は、おそらくパウロが一番早く、また、多く使ったが、イエスの生涯そのものを「福音」として捉え、今日まで伝えられる「福音書」というものの骨格を作ったのはマルコ。
 マルコ福音の最初の言葉:「神の子、イエス・キリストの福音のはじめ」。あの十字架に付けられたキリストの言葉、行い、そして、その生涯そのものが「福音」である、という考え。福音書の最後の言葉:「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」。これは、イエスの復活を告げる仲間の言葉を、なかなか信じようとしなかった弟子たちに向けられた言葉。主イエスは、あの重大な使命を、そのような弱さに満ちた人間に託された、ということ。これも、マルコの主張ではないか。人となられてこの世で生き、様々なよい業を行いながら、最後に十字架の上で亡くなられたイエスを主と仰ぎ、信じた人々とともに、わたしたちもこの「福音」を生き、人々に伝える力が与えられるよう祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. 昨日は、未だ行方不明の母のことを思い、母を拉致監禁中の成年後見人弁護士を監督する弁護士会の役員弁護士の事務所職員についきつく当たってしまった。
    そんなこともあり相当落ち込んだ。You Tubeで日本で自死したイタリア人ホームレスの番組を見て、自分を重ねた。そのイタリア人は運悪く医師のところに行ってしまった。国会で日本の医療は金目的と公言されているのに。
    ともかく、やたら落ち込むと、マルコ5章冒頭の男やマグダラのマリアのように心だけでも墓に行く。この世の人々を信じられず、死んでしまった人々に会いにいく。
    すると優しい(サヨクでない)気持ちになり、心があたたまる。
    死者を祭る神道とカトリックは天と地下水脈で繋がっている!と確信し皇學館大学に電話したが、受付の女性と話しているうちに、そもそも僕は伊勢神宮にすら参拝してないことに気づいた。

    朝だ!
    今日も、共産党と共闘する反共主義者正木ひろしをライバルに、神社仏閣に参拝するキリスト者として生きたい。

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