パドバの聖アントニオ、司祭教会博士 (記念)
(1195-1231)
鎌倉時代の初め、アントニオは、ポルトガルの首都リスボンで、すぐそばに大聖堂がそびえ立つ貴族の館で生を受けました。彼は、すでに十五歳の時には司祭になることを志してアウグスチ会に入り、懸命に勉学に励んでいました。1222年、モロッコで殉教したフランシスコ会員たちの遺体が、彼の修道院に運ばれてきました。彼はそれに感動して、自分も同じように危険な布教をしたいと熱心に望み、ついにフランシスコ会に移る許可をもらいました。フランシスコ会に入ると、すぐにモロッコに派遣されましたが、着いてまもなく病気になり、何か月も病床に臥しました。帰国命令が出され、アントニオは帰国するために船に乗りました。ところが、アントニオの乗った船は思いがけぬ強風のため流されて、ポルトガルではなくイタリアに着いてしまいました。仕方なく彼は隠遁者のような生活を送ることにし、朝早く少しのパンと水をもって近くにある洞穴に行き、夕方の修道士たちの集まりまで、一日中祈りのうちに過ごしていたのでした。
アントニオの布教能力はだれにもわかりませんでしたが、神のみ摂理によって人びとに示されたのです。フランシスコ会とドミニコ会の荘厳な集会があった時のことでした。説教をする責任は相手にあるとたがいに誤解しあっていましたので、だれ一人説教の準備もせず集会に臨んでいたのです。大勢の人びとを前にして困惑したフランシスコ会の長上は、アントニオを見つけてすぐ説教するように命じました。その即興的なすばらしい説教は聴衆を驚かせ、彼の歩むべき道を示したのでした。彼はその時から、イタリア、フランスと懸命に説教して回りました。どこの土地でも信者たちが大勢集まりました。そして彼の活動の中心となったパドアの町で説教を始めた時には、大聖堂に入りきれない多くの人びとのために町一番の広場に移りましたが、そこも役に立たず、ついに郊外の野原へと移動しなければなりませんでした。
アントニオの説教には常に聖書のすばらしい知識が示されましたので、「聖書が突然、すべてなくなってしまっても、アントニオが一つ残らず書き直すことができるだろう」と、人びとが言うほどでした。人びとはアントニオに熱中し、説教台から降りる彼に先を争って近づき、祭服の一部を切り取ろうとまでしましたので、いつも護衛が付かなければなりませんでした。彼の説教によって、長い間人びとの中にあった敵対心が、たがいを許す心に変わっていきました。悪い方法で手に入れたお金や品物を持ち主に返す人が大勢出てきたり、高利貸しをやめる者が増えました。また彼は大司教の前でも説教し、ある修道者はキリストの教えを伝えるよりも金品に執着し、たがいに争うことばかりして福音を辱めていた、とはっきり告げました。それまで貴族のような豪華な生活をしていた大司教は心に恥じ、聖アントニオの指導に従って自分の行動を改めました。
アントニオは当時の厳しすぎる罰をやわらげ、人びとに平安をもたらすよう、数々の努力をしました。しかしすべてのことが成功したわけではありませんでした。ある町の人びとはかたくなに彼の説教を拒み続けていました。そのことを悲しんで、彼は海辺に行き、「海の魚たちよ、町の人びとは私の伝える神のことばを聞こうとしない。せめておまえたちが代わってそのみことばを聞きなさい」と言うと、魚に向かって静かに説教を始めました。このことを聞き知った町の人びとは自らを恥じ、回心したと伝えられています。
ところで、いままで多くの成功をおさめてきた彼の最後の努力は、失敗に終わりました。彼は病気で体が弱っていたにもかかわらず、捕虜の命と自由のために、残忍だといわれている王のところへ嘆願に出かけました。王は彼を殺しはしませんでしたが、その願いも聞き入れてはくれませんでした。失望と病のために歩けなくなった彼は、パドアの郊外まで運ばれ、そこでゆるしの秘跡に与り、好きだったマリアの賛歌を歌いながら目を見開いて懸命に天を見つめました。そばにいた修道士が「何を見ておられるのですか」と尋ねますと、「わが主を仰ぎ見ています」と答え、その日の夕刻、静かに息を引き取りました。三五歳の若さでした。
修道士たちは、彼の遺体をそっと教会まで運びたいと考え、秘かに事を運ぼうとしましたが、「聖人が亡くなられた」と町中の人びとが叫んで、彼の遺体のそばに駆け寄ってきました。教会は、人びとの彼に対する尊敬と親愛の情に強く動かされて、一年後、異例な早さで列聖したのでした。
西洋においては、アントニオは特別な信心の的になっています。例えば、貧しい人びとに寄付をし、その代わりに聖アントニオの取り次ぎによって神の助けをうけるという人びとが、非常に多く見られます。なくしたものを見つけるための取り次ぎはごく普通のこと、結婚のいい相手を見つけるための取り次ぎを願うとか、いろいろな願いの取り次ぎを彼に頼むようです。
私たちも聖アントニオの取り次ぎによって、いつでも、どこでも、神の保護がいただけるよう祈りましょう。
C.バリョヌェボ著『ミサの前に読む聖人伝』サンパウロ、2010年。