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教皇の意向:子を失った親 (11月)

復活節第四土曜日(5/14)

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互いに愛し合いなさい

ヨハネ15:17
集会祈願

全能の神よ、あなたは聖マチアを選び、使徒団に加えられました。わたしたちもあなたの愛を豊かに受け、聖人の取り次ぎに支えられて、選ばれた人々の集いに入ることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (使徒言行録1.15-17、20-26)

 15〔その日、〕ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。 16「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。 17ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。
20詩編にはこう書いてあります。
『その住まいは荒れ果てよ、
そこに住む者はいなくなれ。』
また、
『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。』
21-22そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」 23そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、 24次のように祈った。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。 25ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。」 26二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった。

🌸 答唱詩編 詩編113 典51 ①③

 神の名はあまねく世界に輝き、
  その栄光は天にそびえる。

ほめよ、神に仕える者よ。
神の名をほめたたえよ。
神の名に賛美、
今よりとこしえに。  【答】

神は貧しい人を立ち上がらせ、
恵まれない人を高く上げ、
支配者とともにすわらせ、
民のかしらとともに並はせる。 【答】

アレルヤ唱 典277(聖マチア)

アレルヤ、アレルヤ。あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだのである。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ヨハネ15.9-17)

ヨハネによる福音 

 9〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 10わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
 11これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。 12わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。 13友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 14わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 15もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。 16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。 17互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

奉納祈願

恵み豊かな神よ、聖マチアの祝日にささげる教会の供えものを受け入れ、わたしたちに恵みと力を注いでください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

いつくしみ深い神よ、あなたの家族を豊かな恵みで満たしてください。聖マチアの祈りに助けられて、聖人の集いに加わることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

  イエスを裏切って、自ら使徒団から離れていった使徒の代わりに選ばれたマチアの記念日。
 福音では、最後の晩餐でのイエスの説教から読まれた。イエスが生涯をかけて伝えようとした「愛」についての教え。そこには、一方的な愛についての教えや、命令ではなく、イエス自身が身をもって示した愛が語られている。
 律法には「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」とあった。しかし、イエスは言う、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と。わたしたちは、うすうすわかっている。家族や隣人、友人を愛さなければならない、ということを。しかし、同時にそれがどれほど難しいことかも経験している。自分の力を超えた要求であることもわかっている。尊敬できる人の話もよく聞く。しかし、自分にはできない、という思いが強いことも事実では。
 イエスが言われるのは、ただ「愛しなさい」ではなく、「わたしが愛したように」と。それは、イエスこそが愛する人であり、そこから愛をいただかなければ、だれも愛することが出来ないことを意味するのではないか。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」これは、まさに、イエスが生きられた愛ではないか。さらに、イエスは言われる、「あなたがたはわたしの友である」と。「友」とは、もともと「愛されたもの」の謂である。それは、自分にとって最も大事なものを知らせ、与える相手のことを言う。イエスは、あの弟子たちを、そして、わたしたちを愛し、「友」としてくださった。
 「愛」そのものであるイエスから、その「愛」をいただこう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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