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教皇の意向:子を失った親 (11月)

復活節第五水曜日

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Tiếng Việt

集会祈願

聖なる父よ、信じる者の心を、いつもあなたに引き寄せてください。不信仰のやみから解放された人々が、真理の光の中を歩むことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

第一朗読 (使徒15:1-6)

使徒たちの宣教

〔その日、〕ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。 15:02それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。 15:03さて、一行は教会の人々から送り出されて、フェニキアとサマリア地方を通り、道すがら、兄弟たちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた。 15:04エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。 15:05ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言った。 15:06そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。

答唱詩編 詩編122 典173①②

答:私たちは神の民、その牧場の群れ。

「神の家に行こう」と言われて、
わたしの心は喜びにはずんだ。
エルサレムよ、私たちは今、
おまえの門のうちに立っている。 【答】

しげく連なる町エルサレム、
すべての民の都。
そこにはイスラエルの部族、
神の民がのぼってくる。 【答】

アレルヤ唱 典264(5B)

アレルヤ、アレルヤ。わたしのうちにとどまりなさい。わたしもあなた方のうちにる。わたしにとどまる人は多くの実を結ぶ。アレルヤ、アレルヤ。

福音朗読 (ヨハネ15:1-8)

ヨハネによる福音

〔その時、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 15:02わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 15:03わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 15:04わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 15:05わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 15:06わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 15:07あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 15:08あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」

奉納祈願

聖なる父よ、主の過越の神秘に感謝を込めてあずかります。この救いの力がいつもわたしたちのうちに働き、永遠の喜びの源となりますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

いのちの源である神よ、主の食卓にあずかって祈ります。わたしたちがこの秘跡のうちに日々の生活の力を見出し、永遠の喜びに導かれますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈りのヒント

ヨハネ15.1~8

有名な「ぶどうの木のたとえ」。イエスが日ごろ目にしておられたぶどうの木、旧約聖書にもよく出る、神が愛されたぶどうの木、ぶどう園の話し。イエスは、ご自分がぶどうの木で、父が農夫だと言われる。そして、「わたしにつながっていなさい」と言われる。

「つながる」と言えば、現代人は、直接の人間同士のつながりより、機械を通してのつながりを考えるかもしれない。直接会えなくても、声が聞こえなくても、スマホで、ラインでメッセージを送り、返事をもらえば安心する。コロナの影響で、直接会う機会が減っている分、そうしたつながりが、今まで以上に貴重なのかもしれない。

 人間は本来、だれかに、何かにつながっていたいもの。つながりのない、孤独な状況には耐えられない。親とのふさわしいつながりを持てなかった子どもが、どれほどさびしく、みじめな人生を送ったことか。本来持つべきつながりを持てないと、好ましくないつながりを持ってしまう。

 イエスは「わたしにつながっていなさい」と言われる。

イエスは、前に「わたしと父とはその人のところに行って、ともに住む」と言われた。原語では、この「住む」は「つながる」と同じ動詞。単なる細い糸のようなつながりではなく、太い、確かな、切れることのないつながり。そんなつながりに、イエスは招いていてくださる。それに応えてしっかりしたつながりを持ち続けることができるよう祈ろう。

細江カトリック教会
作道神父

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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