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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

待降節第一木曜日(12/7)

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主の言葉を聞いて行う者は皆、

マタイ7:24
集会祈願

🌸 第一朗読 (イザ26・1-6)

1その日には、ユダの地でこの歌がうたわれる。
我らには、堅固な都がある。
救いのために、城壁と堡塁が築かれた。
2城門を開け
神に従い、信仰を守る民が入れるように。
3堅固な思いを、あなたは平和に守られる
あなたに信頼するゆえに、平和に。
4どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩。
5主は高い所に住まう者を引きおろし
築き上げられた都を打ち倒し
地に打ち倒して、塵に伏させる。
6貧しい者の足がそれを踏みにじり
弱い者の足が踏みつけて行く。

🌸 答唱詩編 詩編100 典172 ③④

アレルヤ唱 典255 ⑥

🌸 福音朗読 (マタイ7.21、24-27)

マタイによる福音

 21〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。
 24「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。 25雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。 26わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。 27雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」 

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の福音朗読は、真の弟子とは何かを思い出させてくれる。人々はしばしば、朝晩の祈りを捧げていないとか、ミサに行っていないと告白する。そのような人は、今日の福音の言葉を思い出すべきかもしれない:

 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。……」。

 一方、いつも朝晩の祈りを捧げ、ミサを欠かしたことのない私たちも、この言葉を思い出す必要がある。ただ祈るだけではなく、何かが必要なのである。必要なのは、私たちが

 「…..わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」

 その御心とは何か?それは、私たちが御国の霊に満たされ、その御国を私たちの世界に実現させるために働くことである。それには、自分自身を超えた絶え間ない働きかけが必要だ。私たちを取り巻く世界の中に神の存在を見いだし、他の人々がその愛に満ちた存在に気づくのを助けることによって、私たちは神のもとに行かなければならない。私たちの兄弟姉妹の必要を無視して、敬虔に神の名を呼んでも、それはできない。それは砂の上に家を建てるようなものだ。

 祈りが重要でないと言っているわけではない。邪魔されることのない静かな時に、神の御言葉に耳を傾け、それに応えることに時間を費やさなければ、神の仕事を効果的に行うことはできない。しかし、私たちの祈りは、それが私たちが外に出て、神の愛と憐れみの何かを私たちの世界にもたらすための原動力となって初めて本物となるのである。

Living Spaceより

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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