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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

年間第十六火曜日(7/20)

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天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、

マタイ12:50
集会祈願

🌸 第一朗読 (出エジプト14.21~15.1a)

  21〔その日、〕モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。 22イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。 23エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。 24朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。 25戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。エジプト人は言った。「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」
 26主はモーセに言われた。「海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。」 27モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。 28水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。 29イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に壁となった。 30主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。 31イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。
1モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。

🌸 答唱詩編 詩編 典79 ③④

アレルヤ唱 典273 46

🌸 福音朗読 (マタイ12.46-50)

マタイによる福音
 46イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。 47そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。 48しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」 49そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 50だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 先週から、週日の第一朗読では出エジプト記が読まれている。
 出エジプトは、イスラエルの歴史の中で、イスラエルが神の民として歩み出す決定的な意味をもっており、その出来事を繰り返し思い起こし、神に賛美と感謝をささげることが、イスラエルの祭儀の中心をなしてきた。
 しかし、時代がくだって、約束の地での生活にほころびが生じ、バビロンでの捕囚の苦い経験をするようになると、預言者は、出エジプトに代わる捕囚からの解放と、シナイ契約に代わる「新しい契約」が結ばれることを約束する。エレミヤは「この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない」(エレミヤ31.32)と主の言葉を告げる。しかし、そうした新しい契約が現実のものとなるためには、さらに数世紀を待つ必要があった。
 イエスが最後の晩餐において宣言し、十字架の血によって結ばれた「新しい契約」は、もはやイエスラエルの世界にとどまるものではなく、人類全体と結ばれるものだった。そして、それは、人間を物理的に縛る様々な束縛からの自由ではなく、むしろ、すべての人を縛り苦しめる罪、人間的・自己中心的な思い込み、そこから容易に解放されることのできない常識や伝統といったものからの自由だった。家族や身内といった絆からの自由であり、民族、文化、言語、習慣の違いを超えて、人を解放し、人となられた神の子イエス・キリストにおいてあらたな絆を生み出すものだった。「わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」と言われた主の言葉をあらたな心で味わい、受け止め、生きる恵みを祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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