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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第十六木曜日(7/21)

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あなたがたの目は見ているから幸いだ

マタイ13:16
集会祈願

🌸 第一朗読 (エレミヤ2:1-3、7-8、12-13)

エレミヤの預言

主の言葉がわたしに臨んだ。
2行って、エルサレムの人々に呼びかけ
耳を傾けさせよ。
主はこう言われる。
わたしは、あなたの若いときの真心
花嫁のときの愛
種蒔かれぬ地、荒れ野での従順を思い起こす。
3イスラエルは主にささげられたもの
収穫の初穂であった。
それを食べる者はみな罰せられ
災いを被った、と主は言われる。

7わたしは、お前たちを実り豊かな地に導き
味の良い果物を食べさせた。
ところが、お前たちはわたしの土地に入ると
そこを汚し
わたしが与えた土地を忌まわしいものに変えた。
8祭司たちも尋ねなかった。
「主はどこにおられるのか」と。
律法を教える人たちはわたしを理解せず
指導者たちはわたしに背き
預言者たちはバアルによって預言し
助けにならぬものの後を追った。

12天よ、驚け、このことを
大いに、震えおののけ、と主は言われる。
13まことに、わが民は二つの悪を行った。
生ける水の源であるわたしを捨てて
無用の水溜めを掘った。
水をためることのできない
こわれた水溜めを。

🌸 答唱詩編 詩編 典165④⑥

アレルヤ唱 典271⑫

🌸 福音朗読 (マタイ13:10-17)

マタイによる福音

 〔その時、〕弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。 11イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。 12持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 13だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。 14イザヤの預言は、彼らによって実現した。
 『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、
 見るには見るが、決して認めない。
 15この民の心は鈍り、
 耳は遠くなり、
 目は閉じてしまった。
 こうして、彼らは目で見ることなく、
 耳で聞くことなく、
 心で理解せず、悔い改めない。
 わたしは彼らをいやさない。』
 16しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。 17はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 有名な「種を蒔く人」のたとえに続く部分。イエスのメッセージの中心にある「神の国」について、イエスは旧約の預言者の例に従って、「たとえ」を用いて説明される。しかし、「たとえ」というものは、難しい事柄の理解を助けるものと思われがちだが、実は、理解を容易にするどころか、人の心を一層頑なにする面があることも忘れてはならない。
 イエスが教えようとするのは、すべての人を無条件に納得させるようなものではなく、むしろ、人々がその前で、ありのままの自分で対峙し、態度決定を迫るような、「神の国」という、日常的理解を超えた神秘の世界である。それを受け止めるためには、知識や理屈のように、自分の力でつかみ取るのではなく、むしろ、へりくだって恵みとしていただく、謙虚な姿勢が求められる。それは、まさに、その人自身の自由で、主体的な決断という、一つの大きな「回心」を前提とするものである。
 預言者の謎めいた言葉、「あなたがたは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない」という言葉は、神秘を前にしながら、それを認めることのできない、頑なで傲慢な人間、あくまで自己中心の姿勢を崩すことのできない人間について言われた言葉ではないか。  
 「天の国の秘密を悟ることが許されている」弟子が、幸いと言われるのは、そのような心が恵みとして与えられているからであろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. 「天の国の秘密を悟ることが許されている弟子が幸い」と言われてマタイ5章の真福八端に立ち帰った。
    この世のことに心奪われると基本を忘れてしまう。マタイ4章の荒れ野の誘惑に負ける危険は常にある。
    ただ神である主イエスを見つめて従っていきたい。

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