Generic filters
Exact matches only
Filter by content type
Comments
Attachments

教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第十三木曜日(7/6)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

イエスはその人たちの信仰を見て、

マタイ9:2
集会祈願

🌸 第一朗読 (創世記22:1-19)

 〔その日、〕神はアブラハムを試された。
 神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、 2神は命じられた。
 「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
 3次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。
 4三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、 5アブラハムは若者に言った。
 「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」
 6アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
 7イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。
 「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
 8アブラハムは答えた。
 「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
 9神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。 10そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
 11そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、 12御使いは言った。
 「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
 13アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
 14アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
 15主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。 16御使いは言った。
 「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、 17あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。 18地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
 19アブラハムは若者のいるところへ戻り、共にベエル・シェバへ向かった。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。

🌸 答唱詩編 詩編116 典82③④

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (マタイ9:1-8)

マタイによる福音

 〔そのとき、〕イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。 2すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。 3ところが、律法学者の中に、「この男は神を冒瀆している」と思う者がいた。 4イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。 5『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。 6人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。 7その人は起き上がり、家に帰って行った。 8群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 イエスは、様々な病人を癒され、不思議な癒しの力をもつ人として、人々から注目されたが、今日の個所は、病気の癒しだけでなく、罪のゆるしが大きく絡んでいる。
 人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところに連れてくる。イエスは、人々の期待に応えて、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われる。人々の願いは、病気の癒しであり、内心にかかわることに思いは及ばない。今でも、人が病気になれば、病院に連れてゆき、治療をお願いする。しかし、その内心のことまで、たとえ身内のものでも、触れることはしないし、医者にそこまで期待しない。
 昔からの病気が罪の結果だという考えはイエスの時代にも根強く残っていたが、罪の赦しは、神の世界のことで、人間の力が及ぶものではない、と考えられていた。だから、ゆるしを得るために神に犠牲を捧げることはしても、預言者でさえ、罪の赦しを宣言することはなかった。従って、イエスが「あなたの罪は赦される」と言われたとき、律法学者たちは、「この男は神を冒涜している」と心の中で考えた。人間でありながら、神の世界に踏み込んだと考えたのだ。
 神は、人間の肉体の健康以上に、心の健康に心を配られる。神との和解、人との和解、自分自身との和解、それがなければ、真の幸せは訪れない。そして、イエスは、御自分が肉体の病以上に、人を苦しめる罪から解放するものであることを証しするために、中風の人の病をいやされる。それによって、御自分がまさに、神からのものであり、罪を赦し、人に真の幸せをもたらす権能を持つことを証しされたのだ。(S.T.)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

コメントする