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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第十一火曜日(6/14)

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敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい

マタイ5:44
集会祈願

🌸 第一朗読 (列王記上21:17-29)

 〔ナボトが死んだ後、〕主の言葉がティシュベ人エリヤに臨んだ。 18「直ちに下って行き、サマリアに住むイスラエルの王アハブに会え。彼はナボトのぶどう畑を自分のものにしようと下って来て、そこにいる。 19彼に告げよ。『主はこう言われる。あなたは人を殺したうえに、その人の所有物を自分のものにしようとするのか。』また彼に告げよ。『主はこう言われる。犬の群れがナボトの血をなめたその場所で、あなたの血を犬の群れがなめることになる。』」 20アハブがエリヤに、「わたしの敵よ、わたしを見つけたのか」と言うと、エリヤは答えた。「そうだ。あなたは自分を売り渡して主の目に悪とされることに身をゆだねたからだ。 21『見よ、わたしはあなたに災いをくだし、あなたの子孫を除き去る。イスラエルにおいてアハブに属する男子を、つながれている者も解き放たれている者もすべて絶ち滅ぼす。 22わたしはあなたが招いた怒りのため、またイスラエルの人々に罪を犯させたため、あなたの家をネバトの子ヤロブアムの家と同じように、またアヒヤの子バシャの家と同じようにする。』 23主はイゼベルにもこう告げられる。『イゼベルはイズレエルの塁壁の中で犬の群れの餌食になる。 24アハブに属する者は、町で死ねば犬に食われ、野で死ねば空の鳥の餌食になる。』」

 25アハブのように、主の目に悪とされることに身をゆだねた者はいなかった。彼は、その妻イゼベルに唆されたのである。 26彼は、主がイスラエルの人々の前から追い払われたアモリ人と全く同じように偶像に仕え、甚だしく忌まわしいことを行った。

 27アハブはこれらの言葉を聞くと、衣を裂き、粗布を身にまとって断食した。彼は粗布の上に横たわり、打ちひしがれて歩いた。 28そこで主の言葉がティシュベ人エリヤに臨んだ。 29「アハブがわたしの前にへりくだったのを見たか。彼がわたしの前にへりくだったので、わたしは彼が生きている間は災いをくださない。その子の時代になってから、彼の家に災いをくだす。」

🌸 答唱詩編 詩編51 典6①②

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (マタイ5:43-48)

マタイによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕43「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。 44しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。 45あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。 46自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。 47自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。 48だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日は主イエスの山上の説教が続き、マタイ福音書による5章の最後の個所が読まれます。ここでは、主イエスによる教えの核心は天の国(神の救いの支配)に入るためのことです。「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」(20節)。そのためにどうすればいいでしょうかというそれぞれ具体的に倫理的な生き方を教えてくださいます。その中で、最も大切な教えは人を大事にすることです。

 姦淫について話したとき、神は、他者のいのち全体(人格)を大事にすることを望んでおられると主イエスが強調してくださいます。そして、昨日の個所では、恨みを抱かないように、復讐を払わないように、更にもっと与えなさいと主イエスは勧め続けてくださいます。今日のお話は人間に対して最も重要な問題になります。これは敵に対することです。確かに、私たちにとってある人が仲間なのか敵なのかは大きなことです。

 しかし、この箇所で、もっと大きなことは何かと言いますと、神は、私たちも、私たちの敵も、愛しておられるということを主イエスはまとめてくださいます。これは何よりも福音的に喜ばせるお教えだと思います。

 私たちは愛の足りない世界に住んでいるけれども、神はその私たちを大きな愛で包んでくださっているのです。本当の意味では愛の足りない私たちが、神における完全の愛に包まれています。そのことに心を向けてくださいと主イエスは私たちに招いてくださいます。主イエスは「わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とおっしゃっています。完全な方が、この不完全で愛の足りない私たちと共にいてくださっているのです。こんな感謝なことがあるでしょうか。

  敵を愛するのは人間の力による可能を越えています。しかし、完全である神の力によるならば、できないことはありません。敵を愛するということも可能になります。だからこそ、自分の愛の貧しさを覚え続け、完全な愛なる父である神に、完全な救い主イエス・キリストに、そして私たちを生かしてくださる聖霊に拠り頼んでいこうとするなら、天の国は、まさにそういう人のものになるのです。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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