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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

年間第二十六木曜日(10/5)

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『この家に平和があるように』

ルカ10:5
集会祈願

🌸 第一朗読 (ネヘミヤ8.1-4a、5-6、7b-12)

 1民は皆、水の門の前にある広場に集まって一人の人のようになった。彼らは書記官エズラに主がイスラエルに授けられたモーセの律法の書を持って来るように求めた。 2祭司エズラは律法を会衆の前に持って来た。そこには、男も女も、聞いて理解することのできる年齢に達した者は皆いた。第七の月の一日のことであった。 3彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、夜明けから正午までそれを読み上げた。民は皆、その律法の書に耳を傾けた。4書記官エズラは、このために用意された木の壇の上に立った。
 5エズラは人々より高い所にいたので、皆が見守る中でその書を開いた。彼が書を開くと民は皆、立ち上がった。 6エズラが大いなる神、主をたたえると民は皆、両手を挙げて、「アーメン、アーメン」と唱和し、ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。7レビ人がその律法を民に説明したが、その間民は立っていた。 8彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した。 9総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。 10彼らは更に言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」 11レビ人も民全員を静かにさせた。「静かにしなさい。今日は聖なる日だ。悲しんではならない。」
12民は皆、帰って、食べたり飲んだりし、備えのない者と分かち合い、大いに喜び祝った。教えられたことを理解したからである。

🌸 答唱詩編 詩編19 典44 ①②

アレルヤ唱 典268 ③

🌸 福音朗読 (ルカ10.1-12)

ルカによる福音

 1〔そのとき、〕主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。 2そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。 3行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。 4財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。 5どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。 6平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。 7その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。 8どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、 9その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。 10しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。 11『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。 12言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日読まれたルカ福音書は、主イエスがほかの72人の弟子を任命して、宣教に派遣しましたという出来事を語っています。主イエスは彼らを自ら呼び寄せ、「ご自分の行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に」遣わされました。彼らの務めは、すべての人に向けられている救いの知らせを告げることです。宣教者はいつだって、救いの知らせを皆に告げます。遠くに赴く宣教師だけでなく、私たちもまた、救いの良い知らせを伝えるキリスト教の宣教者なのです。それは、聖霊によって主イエスが私たちにお与えになる賜物です。

 派遣される弟子が第一にすることは「この家に平和があるように」と言うことです。「平和」はヘブライ語で「シャローム」と言います。イスラエルの国では、人々は「シャローム」と言って挨拶を交わします。「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」「おやすみなさい」、なんでも「シャローム」ひとつで済ませることができますから、とても便利な言葉です。シャロームというのは無事、健康、繁栄、平安、和解など、人間の生のありとあらゆる領域にわたって真に望ましい状態を意味するそうです。こういう意味での平和は、イスラエルの民にとって、神の業、神のたまものです。同時に人間の側から平和をたてるために、神の業に協力する必要があるのです。

 弟子たちは、戦いや論争や挑発のために出かけるのではなく、出会う人々との間に平和を作ることが求められています。出会う人々に平和を作る前に、宣教者である弟子たちは最初に自分たちとの間に平和を作り、平和を証しする必要があります。そういう意味で、二人ずつ派遣されたわけではないかと思います。

 本当の平和は神様だけに与えられた賜物です。平和を作ることができるのは弟子たちの力ではなく、人間の力ではなく、神様の御恵みによるのです。だからこそ、主イエスが弟子たちを宣教に派遣されたときに、彼らに収穫の主に祈りなさいと言われたのです。祈りの中で平和を作るのです。

  このことを体験した教会は、神の救いとしての真の平和がイエス・キリストによって実現したと宣言し、平和の使者としての自らの使命を自覚しています。平和を作るのは福音の喜びです。福音の喜びは宣教の喜びです。今日も、主イエスが私たちを宣教に派遣されています。宣教の喜びをもって世界に平和を証しする、出会う人々との間に平和を作るために宣教に行く、出向いていくということは何よりも非常に必要であります。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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