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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第九火曜日(6/6)

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皇帝のものは皇帝に、

マルコ12:17

聖ユスチノ殉教者 記念日

集会祈願

🌸 第一朗読 (トビト2.9-14)

 9〔五旬祭の日の夜、わたしトビトは〕身を洗い清めた後、家の中庭に行き、その塀の傍らで眠った。暑かったので顔には何の覆いも掛けなかった。 10さて、わたしは気づかなかったが、雀が何羽かすぐ上の塀にいた。雀は温かい糞をわたしの両眼に落とし、それがもとで、目に白い膜ができてしまった。そこで治してもらおうと何人かの医者のところへ出かけて行ったが、医者たちが目薬を塗れば塗るほど、目はその白い膜のために見えなくなり、ついに失明してしまった。四年間失明の状態が続いた。親族の者たちは皆わたしのことを悲しんでくれ、アヒカルも彼がエラムに行くまでの二年間わたしの世話をしてくれた。
 11そのころ、わたしの妻ハンナは機織りの仕事をしていた。 12出来上がったものを雇い主のところに届けて、賃金をもらっていた。デュストゥロスの月の七日に彼女が仕事を終え、織物を雇い主に届けたところ、その人々は賃金を全額払ってくれたうえに、山羊の群れの中から子山羊一匹を、家に持って帰るようにとくれたのである。 13妻が戻って来たとき、子山羊が鳴き始めたので、わたしは妻を呼んで言った。「どこからこの子山羊を手に入れたのか。まさか盗んできたのではないだろうな。もしそうならば、持ち主に返しなさい。わたしたちには、盗んだ物を食べることは許されてはいないのだ。」 14すると妻は、「賃金とは別に、贈り物としていただいたのです」と答えた。しかしわたしは、妻を信じようとせず、盗んだと思い込んで、子山羊を持ち主に返すように言い張り、顔を真っ赤にして怒った。すると妻は答えて言った。「あなたの憐れみはどこへ行ったのですか。どこにあなたの正義があるのですか。あなたはそういう人なのです。」

🌸 答唱詩編 詩編112 典99 ①④

アレルヤ唱 典269 ㉝

🌸 福音朗読 (マルコ12.13-17)

マルコによる福音
 13〔そのとき、〕人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。 14彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」 15イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」 16彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、 17イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

  私たちは神に何の義務を負っていますか、また他者に対する義務は何ですか。使徒パウロは、次のように述べています。「すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。」また、「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです」(ローマ 13:6‐8参照)。

 当時、ユダヤ人は外国の支配者に憤慨し、ローマの皇帝に税金を払うことを軽蔑しました。それで、ユダヤ人の指導者たちは、税金の問題をめぐって主イエスが不利な発言をするかどうかを確認するために主イエスを試そうとしていました。もし主イエスは異邦人の支配者に税金を払うのが律法に適うと答えたなら、皇帝の友人であり、臆病者と見なすユダヤ人の大衆からの信頼を失うでしょう。もし主イエスが適っていないと言ったなら、彼らは主イエスを政治的反動者としてローマ当局に報告し、主イエスを逮捕させる理由があるでしょう。

 主イエスは彼らの罠を避け、デナリオン銀貨をもってきて見せなさいと言われました。古代世界の貨幣は、重要な政治的権力を持っていました。統治者は、独自のイメージと碑文を記した硬貨を発行しました。ある意味で、銀貨は統治者の私物と見なされていました。銀貨が有効な場合、統治者は人々に対して政治的影響力を持っていました。ユダヤ人はローマの通貨を使っていたので、主イエスは皇帝のものは皇帝に返しなさいと説明されました。

 この話には、別の深い意味もあります。私たちも、神の似姿に造られて以来、神のイメージを刻印されています (創世記 1:26-27参照)。私たちは当然、自分自身のものではなく、私たちを創造し、その御子である主イエス・キリストの貴い血によって私たちを贖ってくださった神に属しています (1 コリント 6:19-20 参照)。使徒パウロは、自分の体を神への生きたいけにえとしてささげるべきだと言っています (ローマ 12:1)。

 私たちの人生は神のものであって、自分のものではないということを認めていましょうか。そして、私たちは神に正当に属するものを神に返しましょうか。

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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