集会祈願
🌸 第一朗読 (ダニエル9:4b-10)
ダニエルの預言
「主よ、畏るべき偉大な神よ、主を愛しその戒めに従う者には契約を守って慈しみを施される神よ、 5わたしたちは罪を犯し悪行を重ね、背き逆らって、あなたの戒めと裁きから離れ去りました。 6あなたの僕である預言者たちが、御名によってわたしたちの王、指導者、父祖、そして地の民のすべてに語ったのに、それに聞き従いませんでした。 7主よ、あなたは正しくいます。わたしたちユダの者、エルサレムの住民、すなわち、あなたに背いた罪のために全世界に散らされて、遠くにまた近くに住むイスラエルの民すべてが、今日のように恥を被っているのは当然なのです。 8主よ、恥を被るのはわたしたちであり、その王、指導者、父祖なのです。あなたに対して罪を犯したのですから。 9憐れみと赦しは主である神のもの。わたしたちは神に背きました。 10あなたの僕である預言者たちを通して与えられた、律法に従って歩むようにという主なる神の声に聞き従いませんでした。
🌸 答唱詩編 詩編 典
アレルヤ唱 典
🌸 福音朗読 (ルカ6:36-38)
ルカによる福音
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕36「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。
37人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。 38与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
3年前の今頃、コロナの感染が地方にも広がり始めていた。感染者を出した施設には、厳しい目が注がれ、運悪く感染された方は、感染の苦しみに加えて、人々からの心無い言動に、どれほど傷つかれたことだろうか。予定されていたことが次々に中止となり、教会もミサをできない日々が一月以上も続いた。自分の安全、他人の安全を守るために、自粛ムードが続き、社会全体が暗い、生気のない雰囲気に包まれていた。人を見る目が厳しくなり、相手を受け入れる心が萎えてしまっていた。
そんな時に、主イエスが大事にされた教えは、どこにいってしまったのだろう。今日の福音の言葉は、まさに、コロナ禍で忘れられた信仰者としての、根本的な姿勢を思い出させてくれる。「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者になりなさい」と主イエスは言われる。
さらに、イエスは続けられる、「人を裁くな」、「罪人だと決めるな」と。コロナ禍で、人々が無意識のうちに染まっていたのは、まさに、そのような姿勢だったのではないか。「赦しなさい」、そして、「与えなさい」。これは、ファリサイ派の人々が追い求める律法の遵守と対照をなす態度。律法は、まさに、人を裁き、断罪し、罰さずに置かない、いわば、「正義」を何より重視する姿勢に終始する。イエスは、正義を無視はしないが、それ以上に、憐み・いつくしみを大事にする。正義によって、ふるいにかけられ、捨てられたものを敢えて、拾おうとなさる。そこにこそ、いのちへの道があること、悟る恵みを願おう。(S.T)
今日3月23日youtubeで、3月5日主日ミサ主の変容のガラルダ神父様の説教を聴いた。
新しい酒は新しい革袋にって言うが、いずれかの福音書でイエス様は古いのが一番よいって言っていた。そして、以前、ボニー神父様はヨハネによる福音冒頭を引用された。
今日、3月23日朝、実家近所の神社とお寺兼用の公園に行った。今は雨が降っているが今朝は雲も多いが太陽の光も見れて少し霧も出ていた。数日前は岸田首相のウクライナ訪問を知って参拝したが、今日はひとり公園の子ども用キリンさんにしばらく座り神社とお寺に挨拶して帰ってきた。
日本国と日本人同胞を思う心もあるが、
他方で、家族というか弟、親戚、故郷に受け入れてほしいという欲が出ていた。我々の本当の故郷は天にあるのに。
今日も地元の友人に、妄想を言うなと言われた。妄想でなく確信と体験しか言ってないが。
しかし、一切、言ってはいけなかったのだ。
まして、確信に基づいて行動する時ではない。
弱い私は、弟をはじめとする親戚・故郷の群衆による受難すら話してしまう。まるで被害者が責任追及するように。
殺された父と拉致失踪中の母と一対一で、心から真実を語り合えたことが何よりの恵みだ。
日本の、そして世界の殉教者たち、そして、それ以前に、何よりもイエス・キリストにならうこと、今の自分にはむずかしいが。
2011年3月6日日曜日午後6時のミサもガラルダ神父様だった。
ガラルダ神父様に初めて会ったのは2005年4月9日土曜日の講座、まさに新しい酒だった。
2023年3月5日主日ミサのガラルダ神父様は、一番古い酒が一番新しいこと、
ぁ!αでありωである、ってもう言われている!
まあ、とにかく自分と世界と群衆との情況、福音と第一朗読の創世記や第二朗読使徒パウロのテモテへの手紙二等々、現実を見事にはっきりと示してくださった。
そして古いとか新しいとか言う以前に命の泉、甘美な水。
心を騒がせるな、ってイエス様も言っている。
今度こそ、イエス・キリストと深く一致し、
ぁ!まさにアニマクリスティ、3月21日の堀江節郎神父様の黙想会のテーマのように、テゼの祈り、歌のように、キリストの傷の深みにとどまっていたい。
キリストの死にあやかり、死者から復活できますように、アーメン。
神の偉大さは人間の罪をゆるすことにある。
キリストは人間の罪をことごとくゆるされた、十字架上の死に至るまで。
尹大統領もリーダーとして、ゆるしこそが神の子にふさわしいことを示した。
1965年6月22日の韓日協定は、まさに「いかなる留保条件もなしに、日本と関連するすべての過去がまるごと蒸発してしまうことになる」(『金大中自伝Ⅰ死刑囚から大統領ヘ』130頁)、
当時の朴(父)大統領も意識し得ない壮大な神のゆるしのはじまりである。
ゆるすだけでなく
ゆるしたことも忘れる 神
忘れる
イエスさまは寛大な方
ゆるしばかりでなく忘れる
一生涯、ゆるすこと
心広くなること
忘れること
特別な薬、福音書
武器として過去を話すのではなく
(罪を犯したひと)ほんとうにかわいそう
(悪霊に)だまされた
わたしは守る、大切にする
雰囲気は変わる
その道をとらないとダメです
(神よ)あなたの御旨なら
あなたの模範に従い
十字架の上からゆるします、忘れます
、、、。
(2010年4月4日日曜日、復活祭ミサ直前のミゲル・メンディサバル神父さまの告解メモ)
今日というか3月6日の福音は私自身にとっての福音。
正義にこだわると命を失う。
現に父は殺され母は拉致失踪中、私は失職中。いずれもこの世の教師の弟夫婦、この世の故郷の医師、弁護士、役所による仕業、というより裁き。
彼らを裁いた結果、自分たちが裁かれた。
裁くことよりゆるすこと。
韓国の尹大統領を見習いたい。
そしてキリストに従いたい。