🌸 具体的なゆるしの秘跡の手順
1.犯した罪を思い出し、良心と向き合う
2.犯した罪を回心する
3.改善するにはどうしたらよいか考える
4.司祭の前で罪を告白する
5.司祭に指示された償いを実行する
🌸 良心の糾明
最後の赦しの秘跡以後、今日に至るまでに犯したすべての大罪を思い出す限 りにおいて告白すべきです。この良心の糾明において、私たちに生活の 模範を与えてくださったイエス・キリストの生き方を基準にし、自分の 生活を振り返り、罪を思い出し、自分の良心に向き合うのです。(「神の 十戒」、「教会の五つの掟」、「七つの罪源と七つの徳」、「良心の糾明」参 照)
神の十戒
① 私の他に神があってはならない。
② あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
③ 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
④ あなたの父母を敬え。
⑤ 殺してはならない。
⑥ 姦淫してはならない。
⑦ 盗んではならない。
⑧ 隣人に関して偽証してはならない。
⑨ 隣人の妻を欲してはならない。
⑩ 隣人の財産を欲してはならない。
教会の五つの掟
- 主日や定められた祝日にミサにあずかり、それらの日を聖とする ことを妨げる仕事や活動を控えること。
- 少なくとも年に一度自分の罪を告白すること。
- 少なくとも復活節の間に聖体の秘跡を受けること。
- 教会が定められた日に肉食を差し控え(小斎)、断食(大斎)を 守ること。
- おのおのの分に応じて教会の財政を助けること。
七つの罪源と七つの徳
- 高慢 ⇔ 謙遜
- 貪欲 ⇔ 寛大
- 肉欲 ⇔ 貞潔
- 憤怒 ⇔ 忍耐
- 貪食 ⇔ 節制
- 嫉妬 ⇔ 慈愛
- 怠惰 ⇔ 勤勉
良心の糾明(その1)重大な事柄であるため、大罪になり得る罪について
- 妊娠中絶を直接おこなったり、勧めたり、あるいはそれに協力したことはありますか。
- 大罪の状態、またはその疑いをもって、ゆるしの秘跡を受けないまま聖体拝領をしたことはありませんか。
- ゆるしの秘跡において、意識して大罪を隠してそれを告白しなかったことはないでしょうか。
- 教会の教義を疑ったり、否定したりしたことはありませんか。
- 迷信を信じたことはありますか。教会の教えに反する考えを受け入れることがありますか。
- 必要もなく神の名にかけて誓ったり、冒涜的な言葉を使ったりしたことはありますか。
- 理由なく日曜日や守るべき祝日のごミサを怠らなかったでしょうか。
- 無謀な運転をしたことはありませんか。麻薬を用いたり、泥酔したり、または他人をそれに誘いませんでしたか。
- 自分一人、または他人(同性か異性の人)とともに、貞潔を損なう行為をしませんでしたか。
- みだらな思い•考えを意識しつつ継続したことはありますか。みだらな話題にふけったり、貞潔を損なう写真・テレビ番組•映画・ 雑誌・書物・漫画•サイトなどを見て楽しんだりしなかったでしょうか。
- 罪の機会となるようなものに近づかなかったでしょうか。重大な 事柄において、他人に罪を犯させる機会を作ることはなかったで しょうか。
- キリスト教または道徳に反する活動・イベントに携わったり協力したりしたことはありませんか。
- [既婚者のみ]教会の教えに従って夫婦の義務を守りましたか。
良心の糾明(その2)小罪になり得る罪について
- 他人の物を自分の物としたことはなかったでしょうか。それを返 却・損害賠償をしましたか。不当な金額を請求して人をだました ことはありませんか。
- 嘘をついたことがありませんか。他人に害を及ぼした時、その償いをしましたか。
- 両親・親族・目上の人に対して尊敬と愛情を示していますか。
- 他人に対して敵意、憎悪、恨み、妬みを抱き続けたことはありますか。
- 自分の言葉や行為によって他人を傷つけていないでしょうか。
- 他人の欠点を公にしたり、悪く考えたり、悪口を言わなかったでしょうか。人を中傷しなかったでしょうか。(中傷は大きな害を他 人に及ぼせば大罪になり得る)
- 周囲の人に悪い模範を与えたり、怒りに任せて人を叱ったりしなかったでしょうか。
- 怠惰に負けたことはありますか。時間を守らずに他人に迷惑をかけたことはなかったでしょうか。
- 職業上の秘密を守らなかったことはありますか。
- 他人に悪いことを望みましたか。または、他人に良いことがあった時に悲しく思ったことはありましたか。
- 神様との関係を真剣に考え、自分の宗教的形成を大切にしていますか。
- [既婚者のみ]家族を大切にし、自分の配偶者の親としての権威を守り、子供の前で配偶者に反論しなかったでしょうか。
🌸 ゆるしの秘跡の式次第
司祭・信者:父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。
司祭:神のいつくしみに信頼して罪を告白してください。
信者:この前の告白は〇〇〇にしました。(最後に赦しの秘跡を受けた時期〔例:一か月前、この間の四旬節、または去年の待降節〕を告げる)
(罪を言う)
今日までの主な罪を告白いたしました。ゆるしをお願いいたします。
司祭:(勧めと償い)
それでは、神の赦しを求め、心から悔い改めの祈りを唱えてください。
信者:神よ、わたしはあなたに背いたことを心から悔み、お助けによって、こののち再び罪を犯さないと、かたく決心いたします。
(または、)
神よ、いつくしみ深く私を顧み、豊かなあわれみによって私の咎をゆるしてください。悪に染まった私を洗い、罪深い私を清めてください。
司祭:全能の神、あわれみ深い父は、御子キリストの死と復活によって、世をご自分に立ち帰らせ、罪のゆるしのために聖霊を注がれました。神が教会の奉仕の務めを通して、あなたにゆるしと平和を与えてくださいますように。わたしは父と子と聖霊のみ名によってあなたの罪をゆるします。
信者:アーメン。
司祭:主はあなたの罪をおゆるしになりました。(神に立ちかえり、罪を赦された人は幸せです。)安心してお帰りなさい。
信者:ありがとうございました。
🌸🌸
「ゆるしの秘跡、よい告解のための手引き」に参考
このようなインターネット、メール、SNSなど偽りのコミュニケーションという悪に関わった罪を認め離脱します。
adieu.
告解したのに、悪の典型・インターネットやスマホを使ってしまっている私の弱さをお許しください。
(身体感覚こそ倫理の基本!
体の復活を信じます!
勿論、女傑市川沙央さんのように確かな必要性があれば別だが。)
ミサ典礼を安易に変えた日本司教団の悪に抵抗しなかった私の弱さをもお許しください。
これらはすべては祈りに多くの時間を割かなかった私の罪です。
イエスさまですら誰よりもたくさん祈っていたのに。
邪悪なこの時代の新しいものに目を奪われずに、アルファでありオメガである主イエス・キリスト!
あなたにとどまる恵みを常にお与えください!
アーメン。
告解にイマイチな事書いちゃった。
「この世で悪魔をすべて追い払おうとするものは天使まで追い払ってしまう」って言うし。
キャンディーズは『やさしい悪魔』を紅白で歌ったし。
あの時の衣装担当したアンルイスさん元気かなあ?
5月12日の『マザー・テレサ日々のことば』には、「自分の欠点が人々に知られることを、喜んで受け入れなくてはなりません。」
とあります。
僕は、教会のお陰で告解が大好きになったので、小学校1年生の時、落とし物のコインを探して交番に届けたように、自分の罪を探して告解室に通いました。
そのあたりから、善悪や罪よりも名誉や恥を重んじる日本のソトズラよしおくんとソトズラよし子さんたちと心理的距離ができたのかもしれません。
母と僕の家に侵入窃盗を繰り返した教師をやっている弟夫婦や彼らとともに母や僕に会ってもいないのに母や僕についての虚偽の診断書や文書を裁判所に提出した医師や市役所の保健師、母本人や僕から一切事情を聴かずに成年後見開始の審判をした裁判官、母の成年後見人であり傷害や器物損壊で懲戒処分を受けたこともある弁護士。彼らは、「光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて」(ヨハネによる福音書3:20)いくら電話しても出ないし何人かは職場から逃げてしまいました。
母を取り戻そうと彼らに接触したことは危険なことでした。
洗礼者ヨハネがヘロデに逮捕された時、キリストはヘロデに接触しようとなんかしないでガリラヤに引きこもられました。
キリストにならうことができるように祈ります。
アーメン。
真実に基づき正しく生きようとすれば必ず迫害を受ける(Ⅱテモテ3:12)。
日本は俗物的にエラい人々や多数派に盲目的に従う人々がよしとされてきた。
キリストに従う者の母も聖母マリアのように剣で心を刺し貫かれる。
洗礼者ヨハネが逮捕された時、主イエスはヘロデに抗議などせずガリラヤに引きこもられた。
三位一体の神が明らかにお呼びくださる時以外、むやみに世の人々と接触しないことが弱い自分には必要だ。
神のゆるしと癒しと守り、そして導きを祈り求める。アーメン。
せめて母の日ぐらい成年後見人弁護士によって拉致監禁中の母と電話ができないかとその弁護士と交渉したが消耗しただけだった。
悪や犯罪にアレルギーがある自分は犯罪ビジネスに励む弁護士と会話をしただけでも疲労する。
善の実現のためではなく金銭欲や名誉欲のために制度が運用されている(Ⅰテモテ6:10)。
『リジューのテレーズ365の言葉』今日、5月12日に、「地上にはなんの助けも見いだせないかわいそうな小さいテレーズも、天のおん母に向かって、心の底から憐れんでくださるように祈りました。」とありました。
悪魔に心が支配されてる人々に地上の母を奪われた時にこそ、天の聖母マリアに祈ります。
神よ、祈りの妨げになるような人々に期待しようとした愚かな僕をお許し下さい。
アーメン。
『マザー・テレサ日々の言葉』
の今日5月11日と昨日5月10日のところはつながっていて、マザーが出会った素晴らしい人について書いてあります。
特に今日のところは素晴らしい人とマザーが出会うことにより、マザー自身が反省したと書いてあります。
僕は、マザーの謙虚さに出会い、当然のことですが、もっともっと反省しなくてはなりません。
神と人々に感謝します。
グレタちゃんのこと、どっかに書いたが、神のダジャレ!
昔は、大人たちに要求しても聞いてもらえないと、
「グレてやる~」って心で叫んで(疑似)発狂したものだが、今は、発達障害だのと診断されて強制収容行きだ。
野暮な大人が増えたものだ。
健康にこだわることが私達を神から遠ざけ、最も差別され小さな者として世に現れた救い主を殺すことになることを悟らせてください。アーメン。
以前どころかに書きましたが、通信傍受されてるから安全安心とは、米国だけでなく中国もやってるので近現代史におけるタイのように独立が保てますね。知事時代の田中康夫が個人情報保護より情報公開と言ってましたがなるほど。シェイクスピアや新渡戸稲造じゃありませんが、正しきを行いて恐るるもの何もなし、ですね。
とはいえ、痛くもない腹を探られるのは嫌ですね。
成年後見人弁護士が母を拉致して1年になります。法律家が犯罪ビジネスやってる国は珍しい。
正木ひろしが日本人は悔い改めを知らない民族だと言っていますが困ったものですね。
とはいえ、悔い改めにはエネルギーが必須。
喰う寝る銭湯(霊体操)から入らないと。
自衛隊が出発した。
まずは、祈りたい。
まあ、悔い改めを知らない民族と言う言い方が悔い改めを知らない。、ジェノサイド的表現かも。
原敬のメモが発見された。
個人情報保護と情報公開はさておき(目的は司牧と犯罪抑止)、
外交・防衛情報とその開示についても目的をはっきりさせることだと思う。
情報戦云々と世はやかましいが、預言だってすたるのだ。
愛即ち神に生きること。
とにかく、人間として生まれた以上、時間の流れと人の流れとを無視できない。
焦りは禁物だ。
主イエス・キリストも、その時は知らない、とはっきり言い、群衆に潰されそうになると舟に乗るか、するりと逃れる。
選挙などというもので何かが決まると思わない。
ただ、祭りの一種だとは思う。
祭りに危険はつきものだが。
本来の祭りの回復を願う。
とにかく、人間として生まれた以上、時間の流れと人の流れとを無視できない。
焦りは禁物だ。
主イエス・キリストも、その時は知らない、とはっきり言い、群衆に潰されそうになると舟に乗るか、するりと逃れる。
選挙などというもので何かが決まると思わない。
ただ、祭りの一種だと思う。
祭りに危険はつきものだが。
本来の祭りの回復を願う。
暴力団新法?ァ古い言い方だが、それこそファリサイ派的発想だったと思う。暴力団であろうが何であろうが悪いものは悪い!是々非々で向かうべきだ。
変にレッテルを貼りするから弁護士が拉致監禁ビジネスに励み教師が子どもを自殺させ医者が病を増殖させる諸悪の根源金銭欲国家になってしまったのだろう。
イエス・キリストのように誰とでも飯喰う人間に僕はなりたい。
とはいえ隣村の発砲事件、解決したかなあ?
このごに及んで安心したい馬鹿な僕。
イエス・キリストの生き方を基準とすること。
世のエラい権威主義者のようでなく、権威そのものとしてはっきりと言い、行う。
迫害、十字架上の死、復活。
もう、2000年以上も経っているのに未だ人類はキリストを常識にしていない。
世の常識、日本の常識が人類と地球を滅ぼす。
人類の一員として、しっかりと悔い改め、受難!十字架上の死!復活!
この喜びのワルツを踊り続けたい。
アーメン。アレルヤ!
メンディサバル神父様も佐々木神父様も、よく祈ってくださっていた。
メンディサバル神父様は聖霊の自由さで霊的助言をくださったが、佐々木神父様は事前に準備された定型文だけだった。
霊的助言を期待していた自分は不満だったが、告解室を出る直前、体が暖かくなり涙があふれた。
世のあれこれに振りまわされず、先輩たちを見習い、祈りの人になれますように。アーメン。
どうしても人に話してしまう。しかも信仰のない人に。
今の日本の状況は平和に見えるが構造的制度的悪が常態化しているし、そもそも人々は善悪の判断なんてできないし、まして神なんて信じていない。
2013年10月下旬頃だったと思う。ネメシェギ神父様が、時が来るまで話すな、と言われた。不思議だったが、一対一の時でなく講演の時言われた。僕は立って必死にメモをとっていた。
恵みがあまりにも大きすぎた。
神的なものに耐える、とリーゼンフーバー師は言った。
識別・判断以前に時を待つこと。
リーゼンフーバー師はちょっとイジワルなところもあったが、ともにメンディサバル師の告解を受けていたから、
ああ!
今から思うと、もっとケンカすればよかった。
特に、メンディサバル師帰天・東日本大震災後にこそリーゼンフーバー師と、もっとたくさん話すべきだった。
リーゼンフーバー師に頼り過ぎてた。もっと友として思う存分話せばよかった。
今は、誰しも忙しく文字通り心が亡んでいる。
心亡んでいる人々でないと群衆を演じることはできない。
他方、心ある人々や子どもたちは精神病院・強制収容所・介護施設、歌舞伎町より危険な学校に入れられている。
心ある人々にこそ神・イエス・キリストを伝えるべきだが僕にはできない。
まして群衆化した人々ひいては、いわゆる政治を相手にしてはいけなかった。
互いに罪を告白できる友人はいるが未だ信仰者に至っていない。
戦後日本の反宗教的偶像崇拝俗物出世主義もあり、旧統一協会問題もあり、日本では難しい。
旧統一協会問題はそれを追及する方も真の信仰がなければ相手をゆるした上で主の道に導くことはできない、というか、精神的虐待をでっち上げて子ども老人、異議申し立て者を直接排除拉致監禁している人々は野党に多い。
イエス・キリストを伝えることは難しい。
今の僕には、自分がイエス・キリストに従うことすら大変だ。
父や母と一緒に住んでいた時、もっとはっきりとイエス・キリストを伝えればよかった。
洗礼をすすめればよかった。
父や母が洗礼を受けることこそ弟や親戚・地域が憎悪することだった。
ああ!
ヨハネによる福音書に書いてあることそのままだ。
聖書の言葉は実現する。
全く当たり前のことだ。
メンディサバル神父様に言われたこと、イエス・キリストそのものに従っていきたい。
ふと、佐々木良晴神父様は、脱出!と言われた。
時を待ちたい。
コロナなんて一切無視して会いたいときに会いたい人に会えばよかったと今、思う。佐々木師もリーゼンフーバー師もニコラス師すら勝手に天国に行ってしまった!
ペトロもペトロだ!
受難を主が予告したときにいさめるのでなく、ゲッセマネの祈りのときにこそ、祈りなんかやめて逃げようぜ!と主に言うべきだった!
とにかくキリストのように突き抜けて愉快な男がこの世にいなくなっちゃった!?
待て待て!
あんな小部屋に誰にも相手にされないかわいそうな老人がいる、と思っていた告解室の主が、僕にとって一番面白く愉快で心から飛び込める海だった。
見る前に飛び込もう!?
え?
どこへ?!!
2月18日からの毎日のミサにしっかり目を通した。
死者の中から復活するまでは、誰にも話してはいけない。
苦しみを重ね、辱めを受ける。
人々に好きなようにあしらわれる。
人々に恨みを抱いてはならない。
悪人に手向かってはならない。
自分を迫害する者のために祈りなさい。
主イエスの言葉が漸く心にしみとおる。
死者の中からの復活、永遠の命までをしっかり射程に入れて、
今度こそ、静かに祈り、時がくれば、自ずと断食することになるだろう。
主にゆだねて生きてゆきたい。
本日2月12日、日曜日の福音はマタイ5章17節から37節までだが、その23と24節に「祭壇に供え物をささげようとし、兄弟が反感を持っているのを思い出したら、供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て供え物をささげなさい」とある。
今まで全く逆をやってた!
反感を持った人間が異議申し立てをするのが当然!
と思っていた。
人のせいにするのも告解と言えんかも知らんが、
イェーリングが『権利のための闘争』で引用したカントの
「自ら虫けらになる者は、踏みつけられても仕方がない」との言葉が常に心の中にあったから、
まず自分が、
親や教師といった、年上上司エラい人に反感を持てば、可及的速やかに異議申し立てをした。
しかし、岩波文庫は『数について』しか買ったことがなく、岩波新書の『中学生』は父に没収されたりしていた頃から、
一人暮らしをして、自由な孤独を味わうまでは、
大概は心の中が整理できず、
むしろ怒りで、
整理なんかしてたまるか!
とか、
悲しみに打ちひしがれて呆然自失し、
やるせなく眠られぬ夜を過ごしていた。
思春期のそんな夜、孤独の闇の親友はラジオの深夜放送だった。
タレントの歌と語りは心を癒やし、かすかな希望さえ与えてくれた。
1981年、どこか自分と似たような境遇の桃井かおりさんの深夜放送は毎週聴いた。
彼女の『東京慕情』(『メイク23秒』のB面だったと思う)は今でも時々口ずさむ(当時、小遣いを現金書留で送ったら真っ白いフニャフニャしたドーナツ盤レコードが届いた)。
♫〜わたし、昔なんて考えない女よ。
それだけ知っといて、
損はないわ~
♫〜あなた、先のことは考えない男ね。
それだけ正直と言えるけれど~
歌は祈りの二倍?十倍!?
さて、今日の福音が我々人類に与えられた頃は、キリスト自身が不法な裁判により処刑された時代だ。
今の方が多少はよいはずだが、どうだろうか。
言論の攻撃に対して、あくまで言論で反撃しているだろうか。
江戸のかたきを長崎で〜
なんて陰険陰謀が横行してないだろうか。
嵐の中、小舟で昼寝するキリストについて行きたい。
時々、キリストを叩き起こして、叱られながら。
ともかく神と人の完全なる性格を有するイエス・キリストでさえ人間として扱われることを望み、人間として扱われることが正しい(ヨハネによる福音書18章23節&7章51節)。
まして我々人間、一般人を、自分たちに不都合な真実を言うからと干したり嫌がらせを合「法」的にしているようでは、法の支配でなく人・恣意の支配だろう。
世間も教会も、特に政治や宗教について、具体的話題についても、もっとオープンなコミュニケーションができるとよいと思う。ヨハネによる福音書3章19節。
異質な人間を排除しようとか人間扱いしないことが人権犯罪の典型であり、そのような迫害を犯罪行為ととらえる視点が現代の教会には求められていると思う。
弟の奥さんの姉の旦那に昨夜つい電話ですべて吐いてしまった。
ものすごくいい人で良い意味でデリケートな人なので大失敗で大罪と思い、、。
こういうとき、祭壇つまり神に向かう前に罪を犯した相手に謝るようにとキリストは言っている(マタイ福音書5:23)。
と言うか、マタイ5:21以下をちょっと久しぶりに読んで相当、悪い意味でヤバいことに気づいた。
ここ何年か、文字通り兄弟・つまり弟に怒り心頭になりガンガンぶつけてしまっていた。恐ろしいことだが、年取ると、絶対に似ないぞ!と心に決めていた親父に似てきている自分に気づく。親父は旧日本軍志望ゆえ怒りの嵐は半端なく、今となっては、嵐の中を突進してゆく識別力????と言うかバカ力訓練として感謝している。しかし嵐の中を突進するのと、自分が嵐になるのとは違う。
ダメだ!これじゃ告解にならん。
ともかく弟の奥さんの姉の旦那に電話したが、僕の電話からはかけられないとのアナウンス。
ほんとうにまずい。
思えば東日本大震災後、否、その2年前あたりから絶交・破門・出禁がいくつかあった。
自己正当化するつもりはないが、むしろ自己観察としては、大震災前は何かを掴もうとして、大震災後は何かを知る者として一方的に生きていたと思う。金には全くならん仕事を全身全霊でやっていた(一方的でなければ仕事にならない、というようなことを小倉朗が言っていた)。
思春期なのか思秋期なのか。毎日新聞に最近、鎌田慧が書いていた斎藤茂男に聞いてみたい。
病院で父が合「法」的に殺された時、最後に呼ばれたのが私で、既に弟の妻の家族の方が大勢来ていたが、唯一来ていなかったのが弟の妻の姉の夫だ。
告解室に通い始めた頃、世と妥協してはならないと言われた。
健全な怒りというのもある。
誰が味方であるかを気にせず、神と共にあることに心を使いたい。
聖堂係のおばちゃまが正しい気がしてきた。
スマホが流行り始めたのが東日本大震災後だった。
流行るというより今や必需品に近い。
今、こうしていてもスマホという機械に向かっている。
あなたと私とそれを見守る三位一体の神、かつてあった、そんな純粋さとはほど遠い。
パソコンや電子メールやインターネットそしてスマホ。
人類から人間らしさを奪ってしまった。
告解ってここに書くのでしょうか?
以前告解室前の待ち合いベンチでミサ中スマホで振り返りメモ書いてる男の子が聖堂係のおばちゃまに、ミサ中スマホいじくるなって注意されてた。カワウソくん?
掘った芋いじるな?
♫そうね、だいたいね♫
サザンの桑田さんが始末書かかされたあたりからこの国の寛容と忍耐が崩れたと思う。
忍耐とは、命がけの飛躍の連打だと思う。2023-01-21の福音や使徒言行録26章24節よろしく、狂人扱いされるのがオチだが。
そう言えば魯迅の狂人日記って読んだ?
パンダ🐼じゃなくて読んだ?
羊の絵
書いて!
パンダ🐼じゃなくて、、、。