年間第七水曜日(5/22)
集会祈願
🌸 第一朗読 (ヤコブ4.13-17)
ヤコブの手紙
13〔愛する皆さん、〕よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、 14あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。 15むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。 16ところが、実際は、誇り高ぶっています。そのような誇りはすべて、悪いことです。 17人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。
🌸 答唱詩編 詩編90 典52 ②④
アレルヤ唱 典269 ㊼
🌸 福音朗読 (マルコ9.38-40)
マルコによる福音
38〔その時、〕ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」 39イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。 40わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである」と、イエスは言われる。短いやりとりの記録だが、ルカにも、ほぼ同じ言葉で出る。どちらも、問題を持ちかけるのは、イエスから信頼を寄せられた弟子、ヨハネ。ヨハネ福音書の著者とは、あまりにもかけ離れた態度。若気のいたりだろうか。
「一致」(unity)という言葉は、現代、色々なところで使われる。教会一致、党派内の一致、意見の一致等。現実には、それがどれほど難しいか、日々体験する。似た言葉に「統一」(unification)がある。一致は、どちらかと言うと、違う者同士が一緒になること、どこかで妥協点を見出すとか、どちらかが折れるとかして、共通点を見出すことで到達する状況。それに対して、統一は、力で、強制力で、無理やりにでも、ひとつになろうとして生み出される状態。違いにあまりにこだわると、一致は実現しない。違いを放置すれば、対立や抗争をうみ、高ずれば、争い、戦争の原因にもなる。違いを認め、違いを互いに受け入れること、これが一致であり、さらに言えば、愛である。
イエスが目指されたのは、当然ながら「一致」であって、「統一」ではない。「皆が一つになるように」、「すべての人を一つにしてください」とのイエスの祈りは、まさに、三位の神の間の愛による一致が人々の間にあるようにとの、切なる願いである。きなくさい時代、「一致」への歩みが絶たれないよう、祈ろう。(S.T.)