わたしは自分の意志ではなく、
わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。
🌸 第一朗読 (イザヤ49.8-15)
イザヤの預言
8主はこう言われる。
わたしは恵みの時にあなたに答え
救いの日にあなたを助けた。
わたしはあなたを形づくり、あなたを立てて
民の契約とし、国を再興して
荒廃した嗣業の地を継がせる。
9捕らわれ人には、出でよと
闇に住む者には身を現せ、と命じる。
彼らは家畜を飼いつつ道を行き
荒れ地はすべて牧草地となる。
10彼らは飢えることなく、渇くこともない。
太陽も熱風も彼らを打つことはない。
憐れみ深い方が彼らを導き
湧き出る水のほとりに彼らを伴って行かれる。
11わたしはすべての山に道をひらき
広い道を高く通す。
12見よ、遠くから来る
見よ、人々が北から、西から
また、シニムの地から来る。
13天よ、喜び歌え、地よ、喜び躍れ。
山々よ、歓声をあげよ。
主は御自分の民を慰め
その貧しい人々を憐れんでくださった。
14シオンは言う。
主はわたしを見捨てられた
わたしの主はわたしを忘れられた、と。
15女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも
わたしがあなたを忘れることは決してない。
🌸 答唱詩編 詩編145 典63 ③⑤
答:神は恵みとあわれみに満ち、怒るに遅く、いつくしみ深い。
神のことばは正しく、
そのわざには偽りがない。
神は悩みのうちにある者を支え、
倒れる者をすべて立たせてくださる。【答】
神の行われることはすべて正しく、
そのわざはいつくしみに満ちている。
助けを求めるすべての人、
心から祈る人のそばに神はおられる。【答】
詠唱 典262 5A
わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる人は永遠に死ぬことはない。
🌸 福音朗読 (ヨハネ5.17-30)
ヨハネによる福音
17〔そのとき、イエスはユダヤ人たちにお答えになった。〕「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」 18このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。
19そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。 20父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。 21すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。 22また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。 23すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。 24はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。 25はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。 26父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。 27また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。 28驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、 29善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
30わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」

🌸 分かち合い
ユダヤ人たちは、イエスが安息日に癒しの業を行ったことを非難する。それに対するイエス自身の答え。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」それは、神と自分とを同一化する、ユダヤ人にとって赦すことのできない、冒涜の言葉と受け取られた。
当時のユダヤ人は、わたしたちと同様、病気の癒しには関心を示すが、その意味についてはあまり興味がない。しかし、イエスにとって、癒しの業は、ご自分が父なる神と一つであることの証しそのものなのだ。そのことを、イエスは口を酸っぱくして強調される「父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。」
つまり、死者を復活させること、永遠の命を与えること、裁きを行うこと。そうした、父なる神が行われることを、子である自分も行う、と。言い換えれば、イエスは、自分の意志ではなく、自分をお遣わしになった父の御心を行うのである。
そうであれば、イエスが病人を癒されるということは、イエス自身が病者に対して、深いあわれみの心をもっておられたということだけではなく、それは、まさに、父のあわれみの心をイエスが行動を通して表わしてくださったということである。
イザヤの朗読の最後に「たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してしない」という、神の限りない愛をイエスは示しておられたのだ。(S.T.)
わたしの父は今もなお働いておられる。だからわたしも働くのだ。
日本時間21日夜、岸田総理、キーウ訪問。日本の首相が戦地訪問するのは戦後初。
今日の福音。戦場のメリー・クリスマス!
我らも霊的戦いを続けよう!
アーメン!