目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ
集会祈願
🌸 第一朗読 (エフェソ2:12-22)
パウロのエフェソの教会への手紙
12〔皆さん、あなたがたは、〕また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。 13しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。14実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 15規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 16十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 17キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。 18それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。 19従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、 20使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、 21キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。 22キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。
🌸 答唱詩編 詩編85 典81④⑤
アレルヤ唱 典274⑤
🌸 福音朗読 (ルカ12:35-38)
ルカによる福音
35〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。 36主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。 37主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。 38主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
来たるべき日(終末の日)に向けて、よく準備しているようにとの教え。ルカにおいて、終末は決して近い将来のことではないが、同時に、いつのことか誰にもわからない。その日に向けての戒めは何度も繰り返される。それがまさに、教会のときだからである。
このたとえは、本来主人を迎える僕についての話だが、ルカは、同時に、主人自身についての教えも加える。「主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる」と。この考えは、最後の晩餐でのルカの記述にも現れる。使徒たちが、自分たちの間で、だれが偉いかと議論を始めたとき、「あなたがたの中で偉い人、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」と言い、さらに「わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である」(ルカ22.27)と主イエスは言われた。
聖書の中で言われる「仕える」とか「給仕する」とはどういう意味か。現代よく使われる「サ-ビス」とどう違うのか。サービスは、「サービス残業」と言う言葉が使われるように、いつの間にか、対価を求めるものになってしまった。しかし、聖書で言われる「仕える」は、報酬を求めない、ただで与える、しかも、相手に対する尊敬、思いやり、愛をもって行うもの。ヨハネによれば、イエスは、晩餐の席で、自ら弟子の足を洗うことー本来奴隷(servus)が行うことーによって、その意味を明かされ、弟子たちにも同じように行うよう教えられた。神が、そのようなお方であるとは、実に驚くべきことではないか。(S.T.)