年間第二十八火曜日(10/15)
器の中にある物を人に施せ
集会祈願
🌸 第一朗読 (ガラテヤ5:1-6)
使徒パウロのガラテヤの教会への手紙
1〔皆さん、〕自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。
2ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。 3割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。 4律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。 5わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。 6キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。
🌸 答唱詩編 詩編119 典75 ②④
アレルヤ唱 典271 ⑯
🌸 福音朗読 (ルカ11:37-41)
ルカによる福音
37〔そのとき、イエスは話しておられたが、〕ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。 38ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。 39主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。 40愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。 41ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
ファリサイ派の人々、さらには、律法の専門家に向けられたイエスの厳しい言葉が語られる。「あなたたちは、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている」と。人間の心の中にある思いと、それを表わす言葉が一致しないこと、心にもないことを口走ってしまったり、自分の心の内を上手に表現できずに誤解されたりすることは、だれしもが経験すること。
人間だけが、内と外を区別することができ、本来の自分とは違う自分を演じたりすることができる。それが、偽り、と言われることも、演技と見なされることもある。実は、「偽善」(hypocrisy))という言葉は、仮面をかぶる、演技をする、という言葉から出たことを思い出そう。
人間が社会に生きる限り、社会での顔と家庭での顔、公私を区別することとは当然であり、それ自体悪いことではない。信仰が社会的に認められていない時代、信仰を公に表わすことをはばかり、ひそかに信仰を守って潜伏キリシタンとなった人々がいたことも事実である。禁教令のもとで、信仰を守るにはそのような形でしか、信仰を継承することが出来なかった。しかし、そのような状態で、生きることは決して易しいことでも、望ましいことでもない。いつか、人間は、外に表れた形に捉われ、内なるものをないがしろにする弱さをもつ。キリシタン時代の信仰者は、イエスの言葉をどのように受け止めただろうか。自分のうちにあるものを、素直に表わすことのできる社会の実現を、自らのため、今なお、信仰が忌避される社会に生きる兄弟のために祈ろう。(S.T.)