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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第二十火曜日(8/20)

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先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる

聖ベルナルド修道院長教会博士(記)

集会祈願

🌸 第一朗読 (エゼキエル28:1-10)

 1主の言葉がわたしに臨んだ。 2「人の子よ、ティルスの君主に向かって言いなさい。主なる神はこう言われる。お前の心は高慢になり、そして言った。『わたしは神だ。わたしは海の真ん中にある神々の住みかに住まう』と。しかし、お前は人であって神ではない。ただ、自分の心が神の心のようだ、と思い込んでいるだけだ。 3お前はダニエルよりも賢く、いかなる奥義もお前には隠されていない。 4お前は知恵と悟りによって富を積み、金銀を宝庫に蓄えた。 5お前は取り引きに知恵を大いに働かせて富を増し加え、お前の心は富のゆえに高慢になった。
 6それゆえ、主なる神はこう言われる。お前は自分の心が神の心のようだと思い込んでいる。 7それゆえ、わたしはお前に対して諸国の中でも最も暴虐な外国人を立ち向かわせる。彼らはお前の知恵の誇りに向かって剣を抜き、お前の栄華を汚し、 8お前を陰府に突き落とす。お前は海の真ん中で切り倒されて死ぬ。 9お前は自分を殺す者の前でもなお、『わたしは神だ』と言い張るのか。お前は人であって、神ではなく、切り倒す者の手にある。 10お前は割礼のない者として、外国人の手にかかって死ぬ。まことにわたしがこのことを語った」と主なる神は言われる。

🌸 答唱詩編 詩編31 典66①⑥

アレルヤ唱 典273 ㉖C

🌸 福音朗読 (マタイ19:23-30)

マタイによる福音

 23〔そのとき、〕イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。 24重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 25弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。 26イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。 27すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」 28イエスは一同に言われた。「はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。 29わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。 30しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「金持ちが天の国に入るのは難しい。」イエスは弟子たちに向かってそう言われるが、それは、昨日読まれた箇所に登場した青年が金持ちだったからだろう。弟子たちが金持ちだったかわからない、そうかと言って、皆貧しい人だったと断定することもできない。金持ちであれ、貧しいものであれ、すべての人に向けられた言葉と取るべきだろう。
 旧約聖書の中で、財産に恵まれること、子々孫々まで見ること、それが神の祝福と考えられた。貧しい人を思いやること、貧しい人を虐げないこと、それはよいことと思われた。ただ、貧しくなれ、とは一度も言われたことがない。
 しかし、イエスは言う、「(心の)貧しい人は幸いである」と。貧しくなること、自分の持ち物を捨てること、それが、神の国に入るための必須条件だ、と言っておられるように聞こえる。たまたま貧しくあることを、恐れずに受け入れるのでなく、貧しくあることを積極的に自分の生き方とすること、そこにイエスの示す神の国への道がある。その場合、貧しい、ということは、財産を持たないということではなく、マタイがあえて「心の貧しい人」と言ったように、自らの小ささ、みじめさを知りながら、それを謙遜に受け入れ、すべてを神に委ねる、そんな、打ち砕かれた状態にあることを指すのではないか。
 ペトロは、「何もかも捨ててあなたに従って参りました」と豪語した。しかし、それで、彼の使命が遂行されたわけではない。ただ、出発点に立っただけのことである。生涯、神の前に貧しいものとなってゆくこと、それだけ、主のものとなって行くこと、それが弟子の歩む道なのではないか。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

3 comments

  1. お返事頂けるなんて望外の幸せです!
    おひとりでこのサイトを担当されてるとは知りませんでした。なかなか在朝イエズス会も人使いが荒いですね!?
    在野のイエズス会?!は焦りと怠惰のあいだを行ったり来たりしております。よく言えば活動と観想?? ああ、すみません。どうもわたくしは神より世の方に引っ張られる傾向がある。

    しかし、本当は毎日ミサに与ることができれば一番いい。限界とおっしゃいますが何か理があることのように思えなくもない。パソコンやスマホに向かうより本物のミサに思い切り飛び込む方がどんなによいか。
    そしてここだけの話ですが個人的にはミサの前に(実は時々ミサ中に)告解室に飛び込むことが好きというか傾きというか根本衝動!(師のように根本決断とかっこよく言えない自分を責めてあげたい?!)
    何だかわけがわからなくなりましたが、
    まあともかく悪霊とともにコロナ退散!!!を主イエスに祈るしかありません。
    そして、どうか大切にしてください。在朝がなければ在野もありませんから。あれ?これは、ぼくのエゴから生じた言葉?
    ネバーエンディングストーリーになりそうなので今日はこのへんで。失礼致しました。

  2. スマホぐせが憑いてしまった(ルカ11章24節以下)。

    とにかくこのサイトが再開して良かった。
    「布団の中で、ミサだぜ!」って16日深夜にスマホ同伴で布団にしけ込んだのに、、、。

    でも、それ程びっくりもせず実害があるほど落胆しなかった。多分、方向がよかったのだろう。

    ミサへ。

    まともに小説すら読んでないのにバルザックの言葉を思い出す。希望は過去にしかない、と。
    記念すべき過去とは何か。

    ぼくは四ッ谷界隈をハイカイするのが好きだ!

    • 小野さん、
      いつも分かち合っていただいてありがとうございます。
      時々ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
      このページを毎日更新するのは、一人でなかなか限界になってしまいました。
      ただし、読んでくださった方がいらっしゃったら、本当に嬉しいです。
      神のみ旨ならば、このページを続け、頑張っていきたいと思います。

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