年間第十五火曜日(7/16)
落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。
集会祈願
🌸 第一朗読 (イザヤ7:1-9)
イザヤの預言
ユダの王ウジヤの孫であり、ヨタムの子であるアハズの治世のことである。アラムの王レツィンとレマルヤの子、イスラエルの王ペカが、エルサレムを攻めるため上って来たが、攻撃を仕掛けることはできなかった。 2しかし、アラムがエフライムと同盟したという知らせは、ダビデの家に伝えられ、王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した。
3主はイザヤに言われた。
「あなたは息子のシェアル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野に至る大通りに沿う、上貯水池からの水路の外れでアハズに会い、 4彼に言いなさい。落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。アラムを率いるレツィンとレマルヤの子が激しても、この二つの燃え残ってくすぶる切り株のゆえに心を弱くしてはならない。 5アラムがエフライムとレマルヤの子を語らって、あなたに対して災いを謀り、 6『ユダに攻め上って脅かし、我々に従わせ、タベアルの子をそこに王として即位させよう』と言っているが、 7主なる神はこう言われる。
それは実現せず、成就しない。
8アラムの頭はダマスコ、ダマスコの頭はレツィン。
(六十五年たてばエフライムの民は消滅する)
9エフライムの頭はサマリア
サマリアの頭はレマルヤの子。
信じなければ、あなたがたは確かにされない。」
🌸 答唱詩編 詩編48 典50①②
アレルヤ唱 典
🌸 福音朗読 (マタイ11:20-24)
マタイによる福音
それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。 21「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。 22しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。 23また、カファルナウム、お前は、
天にまで上げられるとでも思っているのか。
陰府にまで落とされるのだ。
お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。 24しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
コラジン、ベトサイダ、カファルナウム等、そこに上げられた町は、いずれも、イエスが宣教の拠点としたり、立ち寄られた使徒たちの出身の町。都のエルサレムから遠く離れた、素朴な漁師や農夫、商人たちが暮らすガリラヤ湖畔の町。
それに対して、シドンやティルスは地中海沿岸の港町。昔から港町として栄えていたが、ユダヤ人からすれば、神を知らない、異邦人の町。その町の人々の方が、イエスが行う不思議な業に開かれた心を持っていたということは、何を意味するのだろうか。
神は、救いの計画をもち、イスラエルの民、そして、パレスティナの地は、特別な場所と考えられていたが、神の救いを受け入れるか否かは、地域や、民族に限定されるのではなく、まさに、人間一人一人の自由にかかっている。
この間、ベトナム人のためのベトナム語のミサがあり、ミサ後、ささやかなパーティーが開かれた。久しぶりの再会ということもあろうが、その盛り上がりには、感動させるものがあった。そもそも、あれだけの若者が今時、教会に集まるということは何を意味するか。祖国ベトナムは、日本人の目からすれば、貧しく、生活も苦しく、しかも社会主義国家ということで、キリスト者は様々なハンディを負っている。そんな国の若者が驚くほどの深い信仰とエネルギーに溢れている。
かつて、日本にキリスト教が伝えられ、短期間のうちにキリシタンが増加し、キリスト教が弾圧されたとき、多くの人々が、勇んで信仰のために命をささげたことは、ヨーロッパの教会にとって、驚き以外の何物でもなかった。こうした現実をイエスはどう見ておられるだろうか。(S.T.)