年間第八木曜日(5/30)
集会祈願
🌸 第一朗読 (一ペトロ2・2-5、9-12)
ペトロの手紙
2生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。 3あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。 4この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。 5あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。
9しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。 10あなたがたは、
「かつては神の民ではなかったが、
今は神の民であり、
憐れみを受けなかったが、
今は憐れみを受けている」
のです。
11愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。 12また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。
🌸 答唱詩編 詩編 典
アレルヤ唱 典
🌸 福音朗読 (マルコ10.46-52)
マルコによる福音
46イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。 47ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。 48多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 49イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」 50盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。 51イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。 52そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
イエスがエルサレムに入城され、受難を迎える前の最後の奇跡。この盲人の癒しを、いずれの共観福音書も、ここに記しているのは、よほど印象的な出来事だったのだろうか。
癒された盲人の態度、イエスのふるまいに注目したい。
盲人は、イエスのうわさを聞き、突然、叫び出す、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。」道端に座って物乞いをしていた、というから、当時の盲人は、家族からも共同体からも、のけ者にされ、やむなく、路上で、人様のあわれみに頼って生きるほかなかったのだろう。視力が衰える、あるいは、まったくないという状態がどれほどみじめなものか、経験してみないとわからない。そんな苦しみを生涯担って生きてきた男を、人々は、こともあろうに、叱りつけて黙らせようとした。
しかし、イエスは、人々の制止をものともせず、「あの男を呼んで来なさい」と言い、さらに、男に、「何をしてほしいか」と問う。イエスは男の願いを当然、察知しておられたがあえて聞く。それは、盲人に対する深い思いやりと尊敬の表れではないだろうか。男は言う、「目が見えるようになりたいのです」と。奇跡は、まさに、神のみのわざであるが、人間の協力=信仰、なしに実現しない。彼は、イエスの呼びかけに躍り上がったように、感謝の心から、イエスに従ったに違いない。
この出来事を福音書が記していることは、神の世界を見るためには、この男のような姿勢―ひたすら、見えるようにこい願うーをもつほかにないことを、福音史家は一様に認めているのではないだろうか。(S.T.)